映画にからめて。_

「並木座」開館パンフレット

長谷先生が「コメント」に映画をたくさん観た話をされてましたが、私も子供の頃は、親父が映写技師をやってた関係で、別の映画館でも顔パスだったり、紹介状(名刺)だったり、招待券だったり、もちろん付いて行ったりとそれこそ観放題!。自腹だった記憶がありません(笑)。しばしば映写室に入り込んで、その小窓から観てたりもしてましたね。まさに「ニュー・シネマ・パラダイス」の世界です。でも先生方のように年300本はとても観ていません。高校時代の年200本が最高でした。
山岳ミステリ作家中原行夫さんのHP「思い出の映画の部屋」。更にその中の「昭和32年の映画館」によると、
http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/tokyo32.htm
当時東京都には572館もの映画館が有ったそうな!!(現在はいくつだろ?)
トキワ荘周辺だけでも「目白映画」の他に、歩いて行ける距離に「平和シネマ」と「長崎映画」が有りましたからね。
親父の映写技師としてのスタートは銀座の「並木座」でした。最初の名画座ともいえる僅か100席(開館時のパンフより)の邦画専門映画館です(閉館時は84席)。
亡くなった後で机の整理をしたら、プログラム「並木座ウイークリー」が昭和28年10月の開館時の1号から31年2月の100号まで揃って出てきました(1998年9月22日の『銀座「並木座」今夜45年の歴史に幕』の新聞記事と一緒に。あ、この新聞は私があげたものだった!)。プログラムには上映作品の紹介以外に当時の有名作家、文化人、映画関係者によるエッセイや連載記事が数本載っており、「支配人室」っていう編集後記まであって、今読んでも実に興味津々。出版できるんじゃないのって思いますよ。(ひょっとして既に出てるのか?あとで調べてみよう)これなんか収集家・研究家にとってはきっと垂涎物なのでしょう。
画像としてその「開館のご挨拶」パンフの表紙を載せました。このパンフには表紙の映画評論家野口久光さんの他、石坂洋次郎(作家)、城戸四郎(松竹・副社長)、森岩雄東宝製作本部長)、松山英夫(大映企画本部長)、服部知祥(新東宝社長)、山本嘉次郎東宝監督)、中村登(松竹監督)の各氏がお祝いの言葉を寄せています。※肩書きは当時。