十年ぶりかな?。_

私がかつて監督していた番組でデビューしたシナリオライター(女性)の訪問を受ける。と、いうより遊びに来た。現在、隣接の市にお住まいで「そのうちお邪魔してもいいですか?」に「ええ、いつでもどうぞいらっしゃい」と返事していたのだった。今は「ちびまる子ちゃん」のシナリオを書いているという。もう、ずいぶんと会っていなかったから、結局は殆んどが彼女のデビューした頃の思い出話になってしまった。
その番組は、NHKが夕方に初めて帯番組として放送した「パラソルヘンべえ」(藤子不二雄A原作’89年10月2日〜’91年1月28日・全200話)。だから、今日は記憶が蘇ってきた流れでこの番組のことを書いてみよう。
当時、私はC&Dという制作会社と契約していた。この会社は主にアメリカやフランスのアニメ制作を請け負っていたのだが(私も一時期LAで、向こうの人間が描く絵コンテをチェックしていた)国内番組の受注ということで、この前の番組「ホワッツ?マイケル」(小林まこと原作 テレビ東京’88年4月15日〜’89年3月28日)に引き続き、これも私が監督となった。どちらの作品も講談社の映像事業局が関係しています。(どうも私は妙に講談社と縁がある)
講談社藤子不二雄A先生(以下A先生で)の新連載を目玉にして「ヒーローマガジン」という新雑誌を創刊、NHKは夕方の時間帯の視聴者を藤子アニメでいただいちゃおうという狙いがあった。企画はオリジナル。どんな番組にするかは、あくまでA先生から出されるものを待つことに。ある日の新宿のホテル。関係者が見つめる中、A先生がおもむろに取り出された。「ヘンべえです」。パラソルにぶら下がって飛ぶ可愛らしいあのキャラクターだ。他には無し。つまり、ここから先は我々が設定をプレゼンし、A先生の許諾を得ながら作り上げていくということ。こちらで舞台や登場人物を決めて、A先生はそのレギュラーキャラクターデザインを描く。各話のゲストキャラクターのデザインは鈴木伸一さんの受け持ちだ。
こんな作り方は私も初めてだったが、この面白い試みに企画基本設定を担当した中村修さん(寺島優・マンガ原作者)も張り切ってくれて、結果、放映されたコンセプトにと出来上がった。(もちろんA先生が途中途中でアイデアを出されて、次第に方向が定まっていくわけだけど)A先生もその決まったアニメの設定に沿って雑誌用のマンガを描くことになるのだから、なんとも不思議な作品ではあった。
だから、最初から原作がない。ましてやこれは帯番組。月〜金で次々放送されていくのだから、慢性的に「プロットが欲しい〜ッ!」(私や私のカミサンまでもがプロットを作りました・笑)「ホワッツ?マイケル」でも似たような状況があって、このときは私が<ぶらざあのっぽ>主宰の小山高生さんに頼んでお弟子さんたちを派遣してもらった。その、あかほりさとるさん、川崎ヒロユキさんなども「パラソルヘンべえ」に引き続き参加してもらっていました。
それでもまだまだ足りない。ということでシナリオライターを求めたというより、お話づくりの人材がもっと必要だったのです。であればベテラン、新人は関係ありません。そこで、放送作家組合が催す<シナリオ教室>の生徒さんたちに声をかけました。「意欲ある人、番組作りに参加しませんか?」プロットが採用されたら、その時点でシナリオにチャレンジできるという、ライター志望の人にとっては願ってもないシステムだ。「金子成人教室」の生徒さんたちが張り切って手を挙げてくれました。こうしてプロット提出数は大幅に増えたが、事はそう簡単じゃない。使えそうなものは実際には少ないし「何とかなるかな…」と思っても、A先生のOKが出ない限りそれは没。だんだん絞られていって、最終的に残ったのはほんの数人でしたね(でも、何人かは番組終了後には、プロのライターとして他の番組に移っていきました)。
※この項つづく__
(そうです。前述のライターさんは、その生徒の内の一人だったということ)