もう何回目のテレビ放送?昨夜も又やってました。この作品、私も好きだけど、ちょっぴり苦い記憶があってね…もう追い込みっていう修羅場のとき、少しでいいからと原画の手伝いを頼まれて阿佐ヶ谷のトップクラフト(制作会社)まで出かけた。ところが宮崎さんからは「手伝いは要らない」と門前払い。スケジュールの遅れに必死の制作プロデューサー側の勇み足だったという訳。きっと藁にもすがる思いだったのでしょうに、当時、既に神様だった監督にはとても逆らえない彼らの様子を背に、帰途についたのでした。「屈辱」ってほどじゃないけど、ほいほい出かけた自分が情けないと、ちょいとばかり腹が立ったという次第。’84年の作品ということはもう20年以上前の話となりますか。