「月刊広場」11月号_

「広場」11月号

表紙は松田朝旭さん。マンゴーです。一瞬「巨大どんぐり?」って、あ、ごめんなさい!…ンなこたぁ無い(笑)。
柔らかく優しい保護材の質感表現が素晴らしいです。カラー口絵は広井良昌さん、先月の表紙に続いて川越の「時の鐘」だ。いい雰囲気に描かれてますねぇ(ところで主宰、「広い良昌さん」って誤植見逃しはいけませんぞ)。
今号には、その川越在住の画家千木良宣行さんの「山の見える街角」と題した絵も載ってる。爽やかなタッチ!妙高四季彩芸術祭の「四季彩大賞」受賞作ですって。いまさらながら「広場」の絵描きさんは多士済々ですね。
私の連載「並木座ウィークリーと共に」は今号から画像スキャンが復刻本からとなりました。デジタル処理でクリアーにされてますからね。私の現物コピーじゃ汚れがひどかったから、このほうがよろしいかと(その分、時代の雰囲気は感じられなくなったかもしれませんが…)。
今号も手塚治虫関連記事多く、生誕80周年!新年号特別企画「アンケート・手塚治虫」の告知。そういえば、私もアンケート用紙を貰ってましたね。締め切りは今月末、さて、何を書こう…。
おたよりのページ「ハローポスト」が盛りだくさんなのは嬉しいです。記事を寄せている身としても、一読者としても。五十過ぎで「年配」と書いてある紹介記事に、皆さんが反応されたのが面白い(昨夜も、20年前の「書」の本に「65歳翁」と有って笑ってしまった)。N岡さん、私信は書かぬように願います(笑)。
※「広場」宛に届く手紙は「私信です」と明記しない限り全て掲載!という編集方針がユニーク。
楽しく一気に読了しました。
じゃ、月遅れ掲載の「並木座ウィークリー」をどうぞ。

並木座ウィークリー」と共に  第四回
──マイ・オールド・シネマ・パラダイス──
 上京当時、父と一緒に暮らした記憶が殆んど無いと前号に書いたが、それも道理で、再婚していたカズは西武池袋線の線路を挟んだだけの、すぐ近くの豊島区長崎のアパートに暮らしていたのだった。申し添えておくと、このお嫁さん、実は同郷の人。親が決めた縁談前からのお付き合いだった。つまりは東京の地でお互いの「純愛」を叶えたというわけだ。カズは初恋の人とやっと結ばれた。全ては計画的だな!やるぜぃカズ(ヨォヨォ、ヒューヒュー♪)。
 と、いうことで、椎名町の家は田舎から出てくる私たち三人のためだけに用意されていたというわけなのだ。田舎の両親は前もってカズ宛に、東京で暮らすための家の購入資金を送っていた。「もう少し広い家が用意されていると思ったんだけどねぇ」と、後年祖母がこぼしていたから、その辺は遊び人のカズがおそらく…ね(笑)。すっかり忘れていたことが、こうやって記憶を手繰りながら書いていると、何かの拍子に突然「あ、そうだった!」なんて思い出してくるものです。今回書くのも、そんな思い出話の一つだ。
 昭和28年(1953年)の4月(「並木座」開館の半年前)、くりくり坊主頭の田舎の子供そのまんまの私は東京都豊島区立椎名町小学校に入学した。ちょうどこのころのカズは池袋のどこかの映画館で映写技師をしていて、並木座の支配人に決まったSさんから引き抜きの勧誘を受けていたのでありましょう。藤本真澄はじめ劇場設立に関わる映画業界人とも知り合う機会が増えてきたのだと思われます。何故ならば…或る日のこと、この椎名町小学校1年1組に、映画撮影用カメラを携えた数人の男が現れたのです。で、なぜか私の姿を撮り続ける。いったい何?…それは、私のカメラテストでありました!なんと、カズは私を「子役」に仕立て上げようと企んだのだ。もちろん私はカズから何も聞かされていない。自然体を撮るためにはその方が良いということかもしれないが、私はただただ面食らうだけ。何の映画の子役だったのか?そんなことは知る由もありません。当時はまだ今のような子役専門のプロダクションなど無かったのでしょうし、きっと、つてを頼りに探していたのでしょうね。この翌年に公開の「二十四の瞳」(松竹)に出演のたくさんの子供たちも、ロケ地である小豆島での現地調達だったと聞いています。ひょっとしたら東京でこうやって探した末に「やっぱり地元の子を使おう」となったのかしら?それだったら面白いけどね。「ならば、俺の子供はどうだ?」とかなんとか言ったんだろうなぁ、お調子者のカズは(笑)。上手くいきゃステージパパとなって左団扇に…「おい、もっと働くんだ!」なんて、〈角兵衛獅子〉かよ、オイ。
 いずれにしろ、おじいちゃん子、おばあちゃん子で「内弁慶」の私が、人前でお芝居なんか出来るわけがありません。「絶対にヤだ!」と言っていたそうですよ。もっとも「カメラ映り」がどうだったのかは不明ですから、断る以前に不合格だったのかもしれませんがね(笑)。ただ、自分で言うのもなんだけど、お目目パッチリのけっこう可愛い子供だったのですよ、この頃は。え?今となれば惜しかったかって?いやいや、ろくな結末を迎えてないでしょうね。だいたいが子役は大成しないものです(失礼)。寿司屋チェーンのオーナーになった人もいたけど、犯罪に手を染めた輩もいたような…(余談)。
 では、「並木座ウィークリー」13号から16号のご紹介。
●13号は「馬どしにあやかって」(えと文)轟夕起子
上映は「源氏鶏太サラリーマン週間」と銘打って、「三等重役」と「一等社員」(共に東宝作品)の二本が並んで掲載。お正月を挟むので二十九日から三日までが「三等重役」、四日から八日が「一等社員」の計十一日間という変則的な上映です。
両作とも製作・藤本真澄、原作・源氏鶏太で、役名は違えど森繁久弥小林桂樹の主演というのは同じ。ヒロインは前作が藤間紫越路吹雪で次が同じく藤間紫八千草薫。後年、加東大介三木のり平フランキー堺などが加わってヒットを飛ばす「社長シリーズ」の源流となった作品とも言えるでしょうか。この「三等重役」の次に「続・三等重役」が作られ、三作目の「続々・三等重役」の企画時に社長役の河村黎吉の死去により、内容が変更されて「一等社員」となったようです。エッセイは「河村さんは義理堅い良い人でした」小林桂樹と、「サラリーマン映画」と題した源氏鶏太。「銀座八丁」というコーナーには、クリスマス・イブの銀座は人々々々…人の波、どうしてこんなに人が出るのか、バカ騒ぎが夜明けまで続く、とあります。昔のイブの銀座が彷彿されますねぇ(笑)。(1953・12・29)
●14号は「尾道のこと」(えと文)濱田辰雄(東京物語美術担当)
この表紙絵は「東京物語」セット・デザインですって。
上映作品は、かの「東京物語」(松竹)。小津安二郎監督と笠智衆原節子で余りにも有名ですね。他にも東山千栄子山村聡三宅邦子杉村春子中村伸郎大坂志郎香川京子、十朱久雄、長岡輝子東野英治郎…うーん、凄い!
エッセイは「小津映画の魅力」筈見恒夫と「ふたりの仕事」野田高梧(小津との共同脚本)。
「銀座八丁」には、当時の銀座の映画館が列記されている。テアトル銀座、ムーヴイ銀座、銀座コニー、ピカデリー劇場、日劇日劇ミュージックホール日比谷映画、有楽座、銀座松竹、築地映画、全線座、そして並木座。現在まで残っているのは…さて?(1954・1・9)
●15号は「お化け煙突」(画)五所平之助
上映作品は「煙突の見える場所」(新東宝
原作・椎名麟三「無邪気な人々」 脚本・小国英雄 監督・五所平之助 キャスト・上原謙田中絹代芥川比呂志高峰秀子
北千住の「お化け煙突」の傍に住む庶民の生活(夫婦愛、隣人愛)を描いた作品。エッセイは椎名麟三五所平之助
あとは、昨年度のキネマ旬報のベスト・テン第一位が「にごりえ」と「禁じられた遊び」だったとの記事。今、銀座は電力制限でネオンが消えているという(暮れから正月にかけて制限が解けたが)。何年後になったらネオンが消えずに銀座を飾るか。ですと。そんな時代だったんですねぇ。(1954・1・16)
●16号「タイトル・バック」宮田重雄(画)
「石中先生行状記」に自身が映画初出演、そのとき藤本真澄プロデューサーの求めに応じて描いたタイトル・バックの中の一枚とのこと。
石坂洋次郎全集(巻一)と題したプログラムで、「青い山脈」「石中先生行状記」「若い人」「若い娘たち」の四本が同時に載っています。
これらを四日間、二日間、三日間、二日間の順に十一日間かけて上映。全て藤本真澄が製作で、石坂洋次郎の原作をそれぞれ、今井正成瀬巳喜男市川崑千葉泰樹が監督しています。キャストは全作品に池部良。他は原節子竜崎一郎、伊豆肇、渡辺篤、若山セツコ、木暮実千代、堀雄二、杉葉子藤原釜足三船敏郎杉村春子島崎雪子、小沢栄などが各作品に入り乱れています(笑)。
エッセイ「映画雑筆」は石坂洋次郎。「私は五十すぎた年配の人間としては、割りあいに映画を見てる方であろう」。なんて書いてますよ。五十過ぎで「年配」か、ヤレヤレ。(1954・1・23)(つづく)
※ところで、この「並木座ウィークリー」の現物や、映画人のエッセイの生原稿、表紙イラスト原画の数々などが展示されている「並木座回顧展」でもある「スクリーンの中の銀座」というイベントが、東京銀座の資生堂本社「ハウス・オブ・シセイドウ」で開催中です。お近くの方、ご興味お持ちの方は是非どうぞお出かけください。半世紀近くにわたって名画を映し続けた並木座の映写機も置かれていますよ。11月25日まで。(内覧会での様子は「萬雅堂だより」をご参照)。