299号!_

広場299号

とうとう凄い数字になってきました。
1970年に始まったという、この個人発行による「描く事、書く事が好きな人」のための同人機関誌。
いよいよ、次号で300号です。私はここ数年のお付き合いですが、この継続のパワーには、もう敬服するばかり。
会員は入れ替わりがあろうとも、編集発行人は最初から同じ人ですからねぇ…主宰のHさんに脱帽!
これに匹敵するのは、私の知る範囲では総合文芸誌「抒情文芸」のK女史くらいかしら。あちらは季刊ですが女手ひとつで今129号、33周年を迎えています。
こういった人たちからは、周りをうろちょろしてそのパワーのお裾分けをいただくに限りますね(笑)。
「広場」今月の表紙は高津南海さんの抒情画「天使のノクターン」です。
巻頭に小林準治さんの「ボクの会った手塚治虫先生」というマンガが載ってる。
アララ、文章の連載が終了したら今度はマンガという切り口ですか!これにはビックリ、やるもんだなぁ彼。ひょっとして、これ第一回かな?
で、この私の月遅れ連載は…17回目ですね。


 居間の箪笥の小引き出しにはいつも自由が丘の全館と渋谷にあるいくつかの映画館の入場招待券の束が入っていた。どれもが「○月中有効」というモノで、束は月初めに更新される。私はその中から適宜引き抜いては、お目当ての劇場へ出向くのだ。なんという恵まれた環境!ゆえに私の高校時代は年に200本の映画鑑賞がなされたのである。時には学友に横流しして学校帰りのラーメン代に化けたこともある(悪い奴!)。カズは当然見て見ぬふりというか、好きに使えというスタンスだった。
 さて、三年生になったばかりの頃だ。私はその束の中に映画館のではない入場券があるのに気付く。浅草…?「浅草座」「浅草ロック座」「浅草フランス座」。そう、これはすべてストリップ劇場だぜ!確か。そろそろそっち方面にも関心が向いてくるお年頃、ピンと来ましたね(笑)。さっそく戴きです。
 これらの劇場、十八歳未満は入場できない筈だけど、そんなの関係ない。この頃は私、もうパチンコ屋さんにだって平然と入っていた。学校帰りに制服のままで。なにしろ釘師カズから台の選び方と釘の見方を教わっていますからね、いつだって連戦連勝。拾った玉一個で打ち止めにしたこともあるのだ(伝説!)。でも、換金はしない。一度だけ、換金はミルクでと聞いたのでパチンコ屋の脇の交換所に持ち込んだことがあって「ミルクといっても粉ミルクだよ!これじゃダメ」と断られたことがある。何たること、私は缶入りのコンデンスミルク(練乳)と交換していたのだった。そう、イチゴなんかにかける甘〜い奴。とんだ恥をかいてしまい、以来、二度と換金には行かなかった。私が交換するのはほとんどがチョコレートとタバコだ。正直に告白する。私は十六歳から吸っていた。いや、初めて吸ったのは十二歳で、祖父が吸っていたゴールデンバットだった(緑色にコウモリのパッケージ)。面白半分に試してみただけだけど。お祖父ちゃんは紙巻きタバコの他にも煙管(キセル)で刻みタバコを吸っていて、それのヤニ掃除(こよりをゆって)が幼い頃からの私のお役目だったのだ。だからタバコには妙に親近感があって…アララ、話がどんどん逸れて行く。
 そう、浅草の話だった! 入場招待券をポケットに入れ休日に私服で出かける(さすがに学生服はまずいかと)。街(六区)の雰囲気は独特、「盛り場」とはこのことを言うのかと、私はその雑然とした様子にキョロキョロするばかり。が、目指すは劇場だ。すぐに場所は分かった。特に緊張もせず、券売の窓口は通らずに直接「もぎり」の元へと向かう。こういったとき、変に照れてちゃいけません、堂々の入場です(おばちゃん、いちいち確認なんかしませんて!)。
 初めて入る場内は、そりゃ映画館とは大違いだった! スクリーンは無く、奥に平らな舞台があり、その真ん中から「出ベソ」と称する張り出した通路のような部分がある。客席の床はコンクリートむき出しで映画館のような傾斜は無い。椅子の数も多くはなく、やけに狭い印象だ。観客の入りは満席でもなく、閑散でもなくといった感じで、スローな曲が流れ、ステージ上で踊り子さんがピンクのスポット照明を浴びて優雅に踊っています。薄物の衣装を少しずつはだけていく「ストリップ」というものを初めて目にした私だったが、少しも興奮せず、「ふーん、こういうものなのか」と妙に冷静。何人もの踊り子さんが入れ替わりに登場するけど、どれもお決まりのパターンの繰り返しと分かるとすぐに飽きてしまった。胸は見せるけどスッポンポンにはなりません。あ、全裸!と思ったときには暗転、といった、今考えるととってもおとなしいショーだったのですね、浅草のストリップというのは(だからか・笑)。それよりもむしろ初めての経験で面白かったのは、幕間に繰り広げられるドタバタのお色気コントだった。もう内容なんか覚えてないけど、変な男たちが出てきて演じるナンセンスな寸劇が可笑しいったらない。こっちの方に軍配を上げる私だったのであります。
 後で知ったことだが、こういったストリップ劇場での舞台をこなした役者の中から佐山俊二関敬六谷幹一東八郎由利徹八波むと志南利明長門勇、南伸介、さらには渥美清萩本欽一といった多くの喜劇人たちが世に出て行ったというのだから凄い!もっとも、私が出かけたこの時点では、これらの人々はとっくの昔に巣立っていた(北野武だけはこの地にまだ登場しない。だって「たけし」は私と同学年だもの・笑)。
 では65号から68号の紹介。
●65号 扉は 吉井巡査 森繁久彌 ※誰の画と文か不明
上映は「警察日記」(日活作品)
製作・坂上静翁 原作・伊藤栄之介 脚色・井手俊郎 監督・久松静児 美術/木村威夫 音楽・団伊玖磨
出演・三島雅夫森繁久彌/織田政雄/十朱久雄/殿山泰司
三国連太郎宍戸錠三木のり平沢村貞子
〈解説〉ある地方の田舎町の警察署を通して、種々の事件を描き、その中に人間の誠実を浮彫りし、生きることの悲喜劇を追求する文芸作品である。
「警察日記・アンケート集」 
※作家、編集者による評がいくつか載っていますが、もう一人、ときの警視総監が「いやアー素晴らしい。映画もここまで来れば、立派な文化財だ」とベタ褒めしていますね。 
〈映画ファン教育(エチケット)〉
大当たりした「ゴジラ」の二番煎じ「ゴジラの逆襲」にはもう一匹出るのだそうだが、このもう1匹のやつの名前を社内で募集したところ、ジグロ、スゴン、ゴリモスなどモノスゴイのが沢山集まった。組み合わせ式は前のゴジラがあるからどうもぱっとしない。さて何と名前が附けられるか。
※それは「アンギラス」ですね(ここで答えてどうする!・笑)。
〈WIPE〉
鳩山内閣が映画委員会を設置か?映画界一部で官僚統制復活を警戒。次ぎは検閲などといわぬよう。
※この後、映倫に青少年映画委員会が設置され、「成人向」指定が始まります(73号に記載あり)。
〈観客席〉
「苦言を呈す」(として、「並木座」友の会会員からの投書を)
場内天井の水漏れのシミ、汚れた両側の壁、場内燈のデザイン等、そろそろ新しい雰囲気が欲しくなって来ました。両側の立ち見が非常に見にくい。それと、映写室に向かって左の機械の映写になると、画面が少々鮮鋭度を欠きます。これはレンズに欠陥があるのではないでせうか? 
※き、厳しい…デスねぇ。(1955・3・9)
●66号 扉は 浮雲 (七才の頃のペン画)高峰秀子
※これ、劇場のポストに便りと共に投函された、昭和六年の映画雑誌に掲載されていた絵ですって。下段に詳細が書かれています。
上映は「浮雲」(東宝作品)
製作・藤本真澄 原作・林芙美子 脚色・水木洋子 監督・成瀬巳喜男 
主演・高峰秀子森雅之
〈解説〉
林芙美子が、晩年の最もあぶらの乗り切った時代に書いた作品で、監督の成瀬巳喜男は、数多くの林文学を手がけ、いづれも最高水準の傑作を発表して来ており、所謂、林、成瀬ものの集大成として完璧の映画化が期待出来る。
「デコの人物批評・成瀬巳喜男さん」高峰秀子文藝春秋より)
〈映画評紹介〉
人間の哀しさ─起伏豊かな高峰の好演─東京新聞
映画随筆〈並木座ウィークリー〉(第六十六号)
「小説と映画」 成瀬巳喜男
小説のゆき子(主人公)は、あまり美しくなく、少しだらけたような感じの女なのに、映画では、美しすぎるし、それに知的でもありすぎるという意見を聞いた。小説と映画は別個の世界の作品であるから、小説の抽象性を映画の具体性に持ち込むのは非常に難しい。(※要約)
〈支配人室〉
※前号の投書に応えて、六月中旬に一週間程休館して場内廊下の大改装をする予定ですからご期待ください、と。(1955・3・16)
●67号 扉は 「女の一生」に出演して 文・淡島千景 え・落合登
上映は「女の一生」(松竹作品)
原作・山本有三 脚色・水木洋子 監督・中村登 
主演・淡島千景/田浦正巳/上原謙草笛光子
〈解説〉
山本有三の作品中、最も長編にして傑作といわれる労作の映画化である。明治末期から大正、昭和に至る目まぐるしい社会的環境の変遷を外枠とし、その間に強い意志をもって一生を送った一人の女性の愛情と信念に満ちた姿を力強く描くものである。
映画随筆〈並木座ウィークリー〉(第六十七号)
女の一生」の時代的背景 中村登
〈映画ファン教育(エチケット)〉
松竹の助監督採用試験、常識問題の一部の珍答紹介(※そのまた抜粋です)。
紫綬褒章(花嫁衣裳のこと)○鳥羽僧正(音羽御殿の主、鳩山首相の呼名)○狸穴(吉田前首相の隠れ場所)○洞ヶ峠(森の石松が敵側と奮戦した峠)○白毛女(パイパイ)
〈支配人室〉
前号の高峰さんのペン画、ご自分も全然覚えてなくて、大変気に入って「今より、ズート旨いわね!」と笑ってましたとか。(1955・3・30)
●68号 扉は ふるさと 小林桂樹(えと文)
※久し振りに氏が表紙用に書下ろされたもの。洒脱ですね。
上映は「ここに泉あり」(中央映画作品、独立映画配給)
製作・岩崎昶/市川喜一 脚本・水木洋子 監督・今井正 
出演・小林桂樹岡田英次岸恵子加東大介/三井弘次/十朱久雄/東野英次郎/沢村貞子草笛光子山田耕作/原保美/多々良純大滝秀治
〈解説〉
戦後の疲れ果てた人々を慰めようと高崎市に誕生した地方唯一の職業交響楽団「群馬フィルハーモニイ」をモデルとして、水木洋子のオリジナルシナリオを映画化したものである。
映画随筆〈並木座ウィークリー〉(第六十八号)
「明日への希望のために」 今井正 
〈WIPE〉
一九五四年度米国アカデミー授賞式で「地獄門」が最優秀外国作品賞と衣装デザイン賞を受けた。昭和二九年度文部大臣賞も溝口監督と大映の色彩技術関係四氏と決った。大映の一人舞台である。高々とラッパを吹いて下さい。
二十四の瞳」のシナリオが教科書に掲載される。高校一年国語に。悪質映画のみ問題にする人よ教科書になるのもあるんですよ。(1955・4・6)