私がここであえて_

○○さんの作品と書くのは、それぞれの昔話が完全に、担当した演出家の個人的才能による映像世界になっているからです。皆さん大変な自負と自信を持って制作に参加されてましたしね。もともとがテレビで放映されるのを目的として作られたのでなく、アジアの国々の人にもっと日本文化を知ってもらおうと企画され、出来上がった作品がたまたまテレビ局の関心を引いたということです。
実際に最初の放送はすぐ終わっています(ストックなど無いので)。あまりの好評にテレビでの本格放送が決まり、それから制作が再開されました。
通常のテレビシリーズでは自分でキャラクター作ったり、自由なイメージでの映像表現なんか出来ないから、それぞれ競作するが如くの熱気でしたね。
だから、ある日突然「テレビと同じ」をうたい文句に書店に絵本が並んだときの驚きったらなかった。
各自、自分の作品を作り上げることに夢中で、その後の商品展開なんて思いもよらなかったのです。この当時のアニメの現場での権利意識の希薄さは今となっては呆れるほどでしたね。
絵本には名前などどこにも無く、誰が作ったなどとは無縁。要はすべて買取り済みのものだからということなのでしょう。
当然、抗議、団交へと進むのですが、所詮は赤子の手びねりとなって「2次使用分配金」(対象は文芸、演出、美術のみ)なる名目の僅かな金額が渡されてチャンチャン。これがきっかけで初期の主要スタッフの多くが番組を去りました。
ですから、それから後のビデオ販売なんてのは権利を持つ者として、ごく当然の商行為なのでありましょう。
<複雑な思い>というのは、つまりはこんな経緯があるからなのです。