ここ数日は午前中からときには夕方まで、航空機の爆音が凄い。編隊飛行だったり、旋回してたり、低空飛行でうるさくって困ります。来月3日(金)に自衛隊入間基地の航空祭があるので、その訓練飛行なんでしょう。ヤレヤレです。と言いつつ、たまにベランダへ出て空を見上げるんだから情けない(笑)。
ところで、「まんが日本昔ばなし」の番組公式ホームページが無くなったと思ったら、「おたよりコーナー」の文字が大きくなって復活してましたね。メンテナンスしてたのでしょうか(笑)。相変わらず「再開希望!」の書き込みが凄いや。
昨日、東京新聞の連載「アニメ大国の肖像」<藤川桂介篇>が終わったけど、調べてみたら、34年前、私の演出第一作の虫プロ版「ムーミン」第20話「ママのハンドバッグ」のシナリオが彼だった。アッチャーッ!デビュー作が誰のシナリオだったかを、覚えてないんだからひどいものです(三本目の「破れた絵本」の多地映一さんは覚えてるんだけど)。
記事にも書いてあったけど、当時のアニメ脚本家の立場は弱いもので、上がったシナリオも単にストーリー素材として扱われていたというのも、あながち嘘とは言えません。当時のアニメのディレクター連中は台詞や内容を、絵コンテや演出段階で好きなように変えちゃってましたから。そんな立場の脚本家の地位を、大変なご苦労で向上させていったのが、藤川さんや、以前にも登場した雪室俊一さんたちなのでしょうね。私もそういった意味では、にっくき奴の一人だったことになりますか。申し訳ない…デス。
そういえば、この藤川さんも書いていた「銀河鉄道999」がらみで、揉め事が起きましたね。槙原敬之の作詞が、松本零士の書いた台詞に酷似してるっていう件。「『銀河鉄道』っていうネーミングこそ、先人からのパクリだろうが!」って反論?が笑える。どっちもどっちって言いたいのかしら?