「白虎隊」_

「士中白虎隊」一番隊々士「篠沢虎之助」
昨夜のテレビ朝日のドラマ「白虎隊」http://www.tv-asahi.co.jp/byakkotai/
田中聖演じるところの二番隊長「篠田儀三郎」の従兄弟。
残念ながらこの人物、ドラマには登場していません。実はこの虎之助、カミサンの曾お祖父ちゃんなのです。白虎隊の子孫と言うと「え?みんな死んだんじゃなかったの」と訊かれます。私も実はそう思っていました。
会津藩の十六歳と十七歳の若者による「士中白虎隊」は総勢八十名ほど。一番隊と二番隊に分かれ、一番隊は藩主の護衛にあたりました。飯盛山で自決の最期を遂げたのは出陣した二番隊で、本陣に残った虎之助は、幸か不幸か生き延びたのであります。多くの歴史文献に名が残るのは自刃した二番隊士ばかりで、虎之助はいわば無名の白虎隊士(と、思ったらWikipediaには載ってた!)。生き残った若き隊士たちは、共に命を散らすことなく終わったことに、内心忸怩たる思いがあったことでしょうね…虎之助もきっと。
彼はのち新政府の警視庁巡査となり、西南戦争に従軍。西郷隆盛軍と戦い、胸の警察手帳を射抜いた銃弾によって戦死します(三十一歳だったとか)。
※この穴の開いた警察手帳は遺品として孫の一人が保管していたが、近年、他の遺品と共に警視庁に寄贈され資料展示されている。
妻と生まれたばかりの男児が遺されまして、これがカミサンの祖父。虎之助も他の白虎隊士同様に出陣して亡くなっていれば、歴史に名を残していたかもしれないが、であれば子孫は存在していないわけで、カミサンもこの世には居ないし、私との出会いも無い(オイオイ、何が言いたい?・笑)。つまりは私の倅は白虎隊士の末裔となるわけだ。おぬしも凛々しく生きろよ!
現在ではたくさんに増えてる孫、曾孫の間では「白虎隊」の話になると、皆、一家言持っててうるさいことこの上なし(笑)。年中、会津方面に誰かしらが旅行してたりする。昨日、今日のドラマもきっと見てるんだろうなぁ…(カミサンはさほど興味は無い)。要らぬ情報公開、と身内には叱られそうだが、こんな歴史も有った、と書きました。
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※↑上記「白虎隊」情報に間違い多し!詳細は1月29日の日記を是非に(当該部分を訂正しています)。