マンガ家<坂口尚>が亡くなった日。_

坂口尚のカット(17歳時)

だから、今日は若かりし日の彼のカットを一枚、追悼の意味も込めて載せます。
彼のことだから、きっと笑って許してくれるでしょう。これは私が彼と高校時代にカット交換してた時のもの。スクラップブックに貼っておいたため、四隅にテープ跡が残っちゃいました。尚三の「尚」の字を<目>に見立てたサインが分かるでしょうか。自身のゴム印(本名・坂口尚三)も押してあります。居合い抜き、枯葉がスパッと切られて…それにしても達者ですよねぇ!
坂口尚は’95(平成7)年12月22日に急性心不全で亡くなってしまった。10年前の今日です。私はこの報せを虫プロ時代からの友人、金山明博さんからの電話で受けました。驚いたのなんの!。だって、まだ49歳ですよ。瞬間、「事故か?」って思った。彼はドライバーライセンス取得するほどのカーマニアでしたからね(この頃はスカGに乗ってたんじゃないかな)。それが、自宅で突然倒れようとは…。渾身の力作「あっかんべェ一休」(月刊アフタヌーン連載)が完結したばかり、無理してたのかな…ふっと力が抜けたのでしょうか…。「天才は早死にする」って言葉もあるけどそんなの慰めにもなりません。今でも口惜しくて!。葬儀の時のことなど今でも鮮明に記憶していますが、ここでは触れません。ただ、通夜の日、大勢が集まり始める少し前に、大友克洋さんが一人静かに挨拶済ませて帰られたのが印象に残っています。是非とも、充実のファンサイト「坂口尚氏の小部屋」に寄ってやってくださいませ。
http://homepage3.nifty.com/stp/sakaguchi/
彼が私の初監督番組「まんが偉人物語」(’77〜’78)に参加してくれて、演出、作画を担当した作品を紹介しておきましょう。
「ベートーベン」「ゴッホ」「運慶」「メンデル」「ピカール」「モース」の6本です。
この内「ゴッホ」以外は作画が「我楽苦他」という表示になっていますが、これはこの時期、彼が主宰していた作画グループの名前です。通常の「がらくた(我楽他)」にわざわざ「苦」の字を追加したのは彼一流の洒落。「我れは楽しみ、他人は『苦』労するんだ」と言って笑ってましたっけ。最初の打ち合わせ時に、彼はそのスタッフたちを引き連れてやってきました。「出来たらこの連中にもキャラクターデザインに挑戦させたいんだ」と。私もプレゼンはけっこう厳しくチェックしたので、かなりNGを出した記憶があります。やり取りの末、「坂ちゃんが責任もってまとめてくれるならばOK」としましたが、いくらかは原案として採用したものがあったかのも…。出来上がったものは実際、ちゃんと坂口カラーになっていましたから、その辺の内部事情までは分かりません。「ゴッホ」のみ作画が渡辺いずみとなっているのは、特別この人のデザインした世界だけは採用に値したからかもね。のちに坂口姓となった、この人だけが知っている(笑)。