坂口尚のこと。_

早逝してしまった友人のマンガ家「坂口尚」のことを書いたことによって、彼のことをもっと知りたいという要請が…。マンガに専念している頃の彼については、私には殆んど分かりません。途中、アニメ番組である、私が監督の「まんが偉人物語」に参加してくれたので、それにからめてなら書けます。でも、書くからにはきちんとその一作ごとに思っていたので、もう少し時間をください。今日のところは、先日画像を紹介した「若人」の19号に載っている彼の自己紹介文を、彼の許しを貰ったことにして転載します。(ゴメン!坂ちゃん。どんな些細なことでも知りたいっていう、熱烈なファンが君にはたくさん居るんだ。いいよな・笑)
新会員の紹介
坂口尚
「僕は昭和21年5月生まれですから現在16歳です。学校は上野忍岡高校で一年です。定時制で、昼は家の家具製造業の手伝いをしています。趣味は卓球とトランペット、それから漫画も勿論。漫画家で好きなのは「手塚治虫」と「永島慎二」です。さて、僕の漫画歴を話しますと初めて絵を描いたのは小学校三年の頃です。この時は、雑誌に載っている様な漫画の様に描くのでなく、メモ帳を使って一枚に一コマ描いて次々にめくって見るようなモノを描きました。その為か今、漫画を描くのにもコマのわくを描くのが面倒くさくなる時が有ります。ところで三年から四年生の中頃までストーリー風に描いていきましたが、その後は中学一年の頃、二三編描きましたが、筋が気に入らなくて未完成のまま残ってます。それからは時々気の向いた時、描いているだけです(カットを)。以上が僕のオソマツな漫画歴です。」(原文まま)
この文は、当時の同人誌が殆んどそうだったようにガリ版刷りで、会長である本宮孝史さん(マンガ家・本宮ひろ志の次兄)の手による手書き文字で書かれています。
この会長さんの消息は
「2000年を迎える前に54歳で死んだ。」(本宮ひろ志著「天然まんが家」より)
ということです。弟さんに似て豪快で、親分肌の人でした。