「なまくら刀」とは?_

「日本アニメーション映画史」

朝刊とウェブに「日本最古のアニメ発見!」の記事。
「なまくら刀」現存する日本最古のコマ撮り式アニメーション「なまくら刀(塙凹内名刀之巻)」(幸内純一作)が発見され、来月24日から東京国立近代美術館フィルムセンター(東京・京橋)で開かれる「発掘された映画たち2008」で公開される。同センターは「日本アニメーション史の起源に迫る貴重な作品」としている。
映像文化史家の松本夏樹さん(55)が昨年7月、北山清太郎作のアニメ「浦島太郎」とともに大阪市の骨董(こっとう)市で見つけた。両作品とも可燃性染色プリントで、同センターが専門業者に修復を依頼、伝統的な染色技法と最新のデジタル技術を駆使してよみがえった。
「なまくら刀」は1917(大正6)年に東京・浅草で初上映。だまされて、なまくらな刀を購入した武士が試し切りをしようと飛脚などに襲いかかるが逆に打ち負かされてしまう2分の物語。一部に影絵の表現が施されユーモアがにじみ出る仕上がりだ。「浦島太郎」はその翌年に浅草で初上映されている。
26日に試写を見た松本さんは「きれいに復元されて感激した。紙製の箱にフィルムが入っていたので通気性がよく長持ちしたと思う」と語った。(以上、産経ウェブニュース)


1917年(大正6年)…うーん、
そんな昔にアニメーションを作っていた日本人がいたというのも、凄いことだ。
大労作!「日本アニメーション映画史」(山口且訓・渡辺泰/有文社’77刊)には、
下川凹天、北山清太郎、幸内純一の三人の名前が、日本のアニメーション「三人の創始者」として載っています。


日本で1910年にエミール・コール(仏)のコマ撮りの映画が「凸坊新画帳」の名で公開され、爆発的人気を呼んで…それに影響された、映画界の中の絵心のある人間たち(つまり上記三人)が漫画映画作りを志した。互いに独自の方法で製作し、それぞれが「我こそは創始者」といっている。


幸内(こううち)純一、明治19年岡山県生まれ(昭和45年没、享年84歳)。
18歳で太平洋洋画会などで学び、21歳で「東京パック社」に入社。興行師・小林喜三郎の小林商会から漫画映画製作の依頼を受けたのが大正5年のこと。
幸内の第一作は「なまくら刀」である。これを「塙凹内新刀の巻」と改題して帝国館で封切ったが、ひじょうに評判が良かったといわれる。


つまり、この現物が発見されたということですね。発見者の松本さんに感謝!
たとえ来月の公開を見逃しても、今後もどこかで観る機会があるでしょう。楽しみだ。上映時間2分というのも大したものです(アニメで2分が、どれだけ大変なことか…!)


ちなみに、ウィンザー・マッケイ(米)の「恐竜ガーティー」は1914年、
ディズニーの「蒸気船ウィリー」(世界初のトーキー・アニメ)は1928年。