「広場」7月号_

月刊「広場」7月号

表紙は昨年12月号以来となる大島啓さんの「おどる埴輪」。
『「おどる人」という埴輪を見ながら、心に響くかたちを絵にしました。』製作2004年5月29日。
とあります。作者このとき15歳、この感性は素晴らしい!
あおいたかしさんの「山川惣治生誕100年記念展」ルポは、先般届いた「劇眼漫歩」40号と重複の掲載。若干加筆されているが、それによると東京での開催は6月29日までだって…アララ終ってる!。
根本圭助さんの巻頭連載「小松崎茂と私」によると、小松崎茂は生誕93年だ。
小林準治さんの記事にあるウォルター・ランツ(「ウッドペッカー」の作者)は生誕109年。今井正小津安二郎は、それぞれ生誕96年、105年。
…そんな懐かしい人たちの話題が今月も満載です。
では、先月号掲載の「並木座ウィークリーと共に」第12回をどうぞ。

 
<「並木座ウィークリー」と共に> 
──マイ・オールド・シネマ・パラダイス──(第12回)文と資料・萬雅堂
軌道修正して、今回はカズの思い出ばなしをば……
カズは無類の競馬好き。まぁ、天衣無縫な「遊び人」だから何かのギャンブルに夢中となるのは至極当然のことなのでしょうが…パチンコや麻雀、競輪、オートレース競艇など、他の賭け事には全く興味なし。ひたすら競馬、競馬、競馬! 
私がカズに連れられて初めて競馬場(府中・東京競馬場)へ行ったのは1955年(小三)の秋の天皇賞だった。青い空に、広がる芝と散乱する馬券、そして勝ったダイナナホウシュウという馬名はしっかり記憶に刷り込まれている。後年、競馬予想の新聞を買いに走らされたこともあったし、日曜日に渋谷や新宿の場外馬券売り場に連れて行かれたこともあった。私は何が面白いのかさっぱり分からず、今に至るも他人?に賭けるギャンブルには興味がなく、馬券・車券・舟券を買うことも無い(反面教師となったのなら感謝・笑)。しかし、子供時代に、父親とたまに出かけた記憶が競馬がらみしかないとは…なんともトホホでありますな。
さて、「自由が丘松竹映画劇場」の支配人となった自由が丘で、カズの競馬好きにさらに拍車がかかった。原因の大きなものは、「自由が丘松竹」のお隣の東宝映画の封切館「南風座」の経営者、T塚さんにありました。Tさんは、ダービー馬アサデンコウ天皇賞馬アサホコの馬主でもあり、当時の日本馬主協会会長でもあります。人の懐に入り込むのが特技のカズはすぐに懇意に(笑)。このTさん、昔は役者だったようで、ネットで調べたところ、新興キネマとか帝国キネマに出演の記録があります。「南地囃子」「暴風警報」というその出演作から「南風座」という映画館名が付けられていたのだと、今になって判明。面白い!
カズはそのTさんからいろいろ便宜を図ってもらっていたのでしょう。競馬場ではいつも馬主招待席に入り込んでいたし、入手が困難といわれた個人電話投票の権利もいつの間にか取得していた。(この権利は、仕事から引退して田舎に隠遁するようになった際に大いに活用していたっけ。亡くなったとき、この権利の返還手続きは私がやった。※余談)私から見ると、他所の社長さんといつも仲良くつるんでいるカズが不思議でしょうがなかった。きっと、二人で映画談義じゃなく競馬談義をしていたのでしょうねぇ。まぁ、おかげで私も東宝映画はずいぶんと見させていただいた。黒沢明の「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」は、高校時代に全てこの「南風座」で見たのです。顔パスでなく、ちゃんと招待券で(笑)。
しかし、カズも仕事はしていましたよ。劇場の上映プログラム作りもそのひとつ。「並木座ウィークリー」のプログラムは当時の支配人Sさんの編集でしたが、おそらくカズもそのお手伝いをしていたのでしょうね、手馴れた様子で「自由が丘松竹劇場」の毎週のプログラムを作っていました。松竹本社から届く宣伝パンフレットからスタッフ・キャスト・解説の部分などを切り抜いたり、プログラムに載せる写真の選定、近所の商店などからの広告作り、自分で構成から編集までをと、糊とハサミを器用に扱って、版下を制作するのです。私もそれを面白く眺めていました。
私が中学校時代に劇画クラブの同人誌の編集・製本・発行などを一人でコツコツとやれたのも、そんなカズの器用さをどこかで受け継いでいたのでしょうね。
この上映プログラムや、当時の劇場のロビーや道に面したショーウィンドウ内に貼られた「只今上映中」「次週上映」の映画場面の数々は、きっと今でも田舎の家のどこかに埋もれているのだと思うのです。事実、桑野みゆき、川津裕介の「青春残酷物語」(昭和35年/監督・大島渚)の映画のシーンのいくつかを田舎で見せてもらい、「おやじさん、こんなものまで持ってたの!」と驚いた記憶がある。そのとき、他の映画の写真も見たと思うし、いつか本腰据えて捜してみましょうかね。
ということで、45号から48号のご紹介…だが、ここでひとつ問題があります。刊行された「並木座ウィークリー・復刻版」(三交社)の47号の表紙扉絵が、ご覧のように削除され空白になっています。オリジナルを所持している私には、その割愛の理由が推測できますので、意向を尊重し、本連載でもオリジナルの公開は致しません。ただ、何が描かれているのかだけは簡単に述べておきましょう。
●45号 扉は 開館一周年記念日招待クイズ「作者は誰でしょう」(並木座・友の会出題)
今週の上映作品「愛」の主演者の一人が書いた絵と文ということで出されたクイズ。以前の「並木座ウィークリー」に掲載されたイラストです。
※答は十七号の有馬稲子
「愛」(富士プロ)全三話
原作・井上靖 脚本・植草圭之助/古川良範/若杉光夫 監督・若杉光夫
主演(第一話)「結婚記念日」木村功有馬稲子
(第二話)「石庭」山内明/桂木洋子宇野重吉
(第三話)「死と恋と波と」森雅之/安西郷子
〈解説〉
(第一話)若い夫婦のいじらしい愛情をユーモラスに明るく淡彩風に描く。
(第二話)恋愛と結婚は別だと割り切って考える現代の男女に、愛情とはそんなに簡単に考えられるべきものではないと諭す。
(第三話)ホテルに偶然泊まり合わせた自殺志望の男女が、死への道程の中で芽生える愛によって救われる。
この三つの話を通して、いろいろの角度から愛の真実にふれている。
☆映画「愛」の感想を語る人々
岸輝子田辺茂一、大原富枝ら各界の著名人たちが寸評を。
〈映画ファン教育(エチケット)〉は、二本立て、三本立て興行と、低料金一本立て興行との、時間と「金」の計算比較を(笑)。
〈支配人室〉死の灰による久保山さん(第五福竜丸)の死を「非合法な国際的殺人事件」と断じ、日本人よもっと怒れ!八千万の真心が世界を救えない筈がない。  と、熱く語っている。(1954・9・29)
●46号 開館一周年記念号
文とシルエットの自画像は市川崑自身の筆によるものですね。
市川崑研究週間として「青色革命」(東宝)「プーサン」(〃)「足にさわった女」(〃)をそれぞれ六、四、四日間に分けての上映。
「青色革命」
原作・石川達三 脚本・猪俣勝人 監督・市川崑 
主演・千田是也沢村貞子
〈解説〉自由主義的な失業大学教授一家の群像を、新旧両世代のコントラストの裡にユーモラスに描く。
「プーサン」
原作・横山泰三 脚本・和田夏十 監督・市川崑
主演・越路吹雪杉葉子八千草薫伊藤雄之助
〈解説〉横山泰三の傑作漫画「プーサン」「ミス・ガンコ」からそのプーサン精神を生かし、軽妙な笑いの中に、社会風俗を風刺する。尚、横山泰三、隆一兄弟、音楽の黛敏郎が特別出演。
「足にさわった女」
原作・沢田撫松 脚本・和田夏十市川崑 監督・市川崑
主演・越路吹雪池部良山村聰
〈解説〉大正十五年、岡田時彦、梅村容子、島耕二主演で一大センセーションを捲き起こした映画を市川、和田の名コンビが近代感覚で現代の風俗世相を爆笑の中にとらえている。
映画随筆〈並木座ウィークリー・一周年記念号〉石坂洋次郎 
パリ滞在中に観た「地獄門」の感想を。色彩の美しさには感動するも、内容には、日本人の観客として物足りなさを感じた。外国の映画ファンを魅了した理由はのみ込める気がしたが…
と、述べています。
〈映画ファン教育(エチケット)〉はオードリー・ヘップバーンが「麗しのサブリナ」で穿いてたズボンの話題。トレアドール・パンツ、つまり闘牛士のズボンだそうである。
〈WIPE〉シネラマが我が国にも登場する。帝劇で正月興行を目標に準備を始めた。
〈支配人室〉開館一周年の感慨と、友の会発足への感謝。今後も理想的小劇場の夢を大きく…  と、書かれています。(1954・10・6)
●47号 扉は  都合により本原稿は割愛させていただきました。(編集委員会)  と、注釈付きで白紙となっています。
※オリジナルに掲載されているのは「幸運のスタア 岸恵子」と題する無署名原稿(どこからかの転載?)と、岸恵子の似顔絵。次号(48号)と同体裁のものです。タイトルからもお分かりのように、「君の名は」で大人気となった彼女に対する、やや辛口の記事。ご本人ならずとも、半世紀も前のこんな文章が今更に人目に触れるのは嬉しくはないでしょう。その後の彼女の実績は誰もが認めることなのですが……削除要請が関係者周辺からのものだとしたら少々残念。実は〈映画評紹介〉欄の中の記事のひとつも削除されているのです。それは映画評論家Iさんの批評(新聞からの転載)。「不愉快だから載せるな」ということではないと思いたいが…
上映は「母の初恋」(東京映画作品/配給・東宝
原作・川端康成 脚本・八田尚之 監督・久松静児 
主演・上原謙三宅邦子岸恵子/小泉博
映画随筆〈並木座ウィークリー〉(第47号)
「秋の庭で」 三宅邦子
「撮影ではライトをあびて理想的な母親を演じ、休日には秋の陽ざしをあびながら脚本のいらない真実の母親を演じる自分」 …簡単にはそうなのですが、なかなかの文章です。
〈WIPE〉日本映画製作者協会が誕生。ヘップバーンが結婚、マリリン・モンローは離婚(ヘップバーンにやけにご執心・笑)。(1954・10・20)
●48号 扉絵は 山村聰 素描  
上映は「黒い潮」(日活)
原作・井上靖 脚本・菊島隆三 監督・山村聰
主演・山村聰東野英治郎津島恵子/夏川静江/滝沢修
〈解説〉世相の濁流に抗して、愛情の真実と正義を求める人間の美しさ又その限りない悩みを描く異色作。
映画随筆〈並木座ウィークリー〉(第48号)
「黒い潮」について 山村聰 
「僕たちは戦争中の、あの、はげしい言論統制を忘れることが出来ない。あらゆる真実は歪められ、あらゆる真実から僕たちは遠く追いやられた。その不愉快な思いは、今日きれいに拭い去られているだろうか。(略)」と、映画化に懸ける思いを熱く。
〈映画ファン教育〉業界のうがった話のご紹介。各映画会社に野球のチーム名をつけるお遊び。「松竹ソロバンズ」「大映グランプリズ(ハッタリズ)」「東宝ジリヒンズ」「東映チャンバラズ」「日活ゴリカン(ごういん)ズ」新東宝は失念したが、俳優さんたちなら「ダイコンズ」  ですと!(笑)(1954・10・27)