「広場」5月号_

「広場」5月号

おや、小林準治氏の表紙ですね。
アオオサムシ…ということは、向こう側の足は…手塚治虫の足。
ピンポーン!当たりだ(笑)。
「表紙のことば」によると、彼が十数年前に「先生の少年時代」をイメージして描いた絵だとか。さすが、昆虫に造詣深い彼ならではの作品ですね。
今号は、さながら「小林準治マガジン」とでも称したくなるくらい、彼の原稿が誌面のあちこちに登場している。
巻頭は、特別企画「クラシック音楽手塚治虫」だし、連載の「手塚先生の想い出」(27)は「百物語」。リチャード・ウィドマークの訃報を「スカンク草井・死す」と関連付けた記事(キャラクターモデルだった)。シリーズ「私が出会った著名人」の第2回は「空手の達人 大山倍達氏」。さらには過日の「広場・お花見」のレポートに添えた似顔イラスト。もう、どうしちゃったのよ? 手塚プロ、よっぽど暇なのかしらね(笑)。
他の皆さん、どんどん投稿しましょう!彼の独占を断固阻止すべし!!!
では、私のささやかな連載の月遅れ転載をば。※39、40号の扉はオリジナルのスキャンです。

並木座ウィークリー」と共に ──マイ・オールド・シネマ・パラダイス──
(第10回)
 さて、中学三年の夏休み明けともなると、誰だって、そろそろ自らの進路を決めなければなりません。それまでは漠然と「普通高校に行く」とだけ考えていた私です(卒業文集には「夢はマンガ家」なんて書いてあったけどね・笑)。成績もまぁそこそこだったから、都立高校に入って、そこからどこかの大学へ…とだけ。豊島区だから当時は第4学区、上位校を受けるには少しは勉強しなきゃな、なんてお気楽なものでした(経済事情もあって、私立高校は全く考えの外)。
ところがここで、「映画三昧」の楽しい〈自由が丘の誘惑〉が私を惑わせます。
幼いころからずっと、祖父母との三人暮らしが日常だった私です。けれど妹たちは両親と共にごく普通に暮らしている。なんで自分だけが父母といつも別居なんだ?と、ここらで私も「親と一緒の生活がしたいぞ!」と、思ってしまったのですねぇ。それこそ「自由が丘」には自由な生活が待っているんだと。そして、何やかんやと理屈を付けて双方を説得、高校からは両親と暮らすという決断をしたのです。カズも負い目?があるのか反対はしなかったし、私のワガママもカズ譲り。今思えば、溺愛していた孫に去られる祖父母の寂しさや、一家団欒の場に難しい年頃の男の子が突然割り込んでくることの面倒・迷惑などが分かるのですが、このときの私には到底無理なことでした。
「高校は別の学区を受けます」先生に事情を話しました。カズ一家の住いは目黒区、第2学区の様子は分かりません。「うーん、高望みさえしなければ、まぁどこかには…」「じゃ、選んでおきます」。両親と暮らすのが目的だから、別にこだわりは無い。「それならば、この前に映画教室で来てた高校がいいかもな、引率の先生が好感持てたぞ」「じゃ、そこで」カズも私もホントにいい加減。実際に確認することもなく志望校を決めました。(後日、入学したら偶然か、その先生が担任になっていた!)。
そして中学を卒業、ついに祖父母との暮らしからの決別です。
「ちょくちょく遊びに来るからね」と、私は気楽に椎名町の家を出て行ったのでした。 
待望・念願の両親と一緒の暮らしが始まり、私がルンルン気分で高校に通い始めてすぐのこと、祖母から「おじいちゃんが入院した」との連絡が。祖父が突然、病に倒れたのです。すでに末期のガンでした。そして、祖父は七月には帰らぬ人に(まだ66歳だった)。
「ボクがこの家を出て行ったから?」「そんなことはないよ」
こうして、祖母はたちまち一人暮らしとなってしまったのです。それまでの私は、身近な人の死なんて考えたことも無い。祖父母にしてもいつまでも元気でいてくれると思っていたし、大人になったら孝行するんだ!と。この現実はショックでした。
残された祖母のことを思うとなんとか一緒に暮らしたい。目黒の家での全員同居は住宅事情からも難しいし、祖母自身が今の家に居たいと言う。私は戻りたい…戻れない…こんなことなら椎名町を出なければよかった…。つまり、取り返しがつかない決断…なんて大袈裟に書いたけれど、自分のことしか考えずに「祖父母離れ」を図ってしまったことが、今も残る私の「悔い」なのです。自分を責める日々が続きます。
そして、その高校一年の秋、初の国産TVアニメ「鉄腕アトム」の試写会に(そして手塚治虫本人に)出会った。
「コレだ!アニメーターになるっていう道があるぞ!」虫プロダクション椎名町と同じ西武池袋線の富士見台。祖母の許に戻って二人で暮らせる。進路から大学受験はスパッと消えました(このころは「大学は美術系かなぁ」なんて思い始めてもいたけれど)。「あと二年だけ待っててね、おばあちゃん」。
 迷いが消えた私は、そこからはさらに映画三昧、アニメ三昧、マンガ(劇画)三昧となります。カズが支配人をする「自由が丘松竹」はかつての「並木座」同様に、ディズニーの短編アニメ(「チップとディール」とか)を本編の合間にしばしば上映していました。私にとっては映像をたくさん観ることが、即お勉強となったのですから、カズにはまさに感謝、感謝です。
こんなお気楽な私、大学受験を控えて学業に励む級友には、ずいぶんと邪魔者だったことでしょう。とうとう三年の時の授業では、一編成だけあった女子の就職コースに混じってしまいましたとさ(笑)。
 では、37号から40号の紹介。
●37号 扉は 「成瀬巳喜男素描」 日本的という形容にふさわしい代表作家は、小津安二郎成瀬巳喜男溝口健二の三人といっていいのではないかと思う。 と書かれていますね。
上映は、成瀬巳喜男研究週間と銘打っての三、四、七日の興行
「おかあさん」(昭和27年 新東宝
製作・永島一朗 脚本・水木洋子 監督・成瀬巳喜男
主演・田中絹代三島雅夫片山明彦/香川京子
〈解説〉森永「母を讃える会」主催になる文部省・厚生省後援「母を主題にした綴方」応募作品より取材したもの。戦後の厳しい現実と戦い乍ら生きて行く崇高な母の姿を、純真な少女の目を通して清らかに描き出した野心的感動篇である。 
「山の音」(昭和29年 東宝)※2月にも上映(20号参照)。
「晩菊」(昭和29年 東宝
製作・藤本真澄 原作・林芙美子 脚色・田中澄江井手俊郎
主演/杉村春子・細川ちか子/望月優子沢村貞子上原謙
〈解説〉林芙美子不朽の名作「晩菊」「水仙」「白鷺」の映画化で、唯枯れ残る晩菊にも似た四人の女が辿りゆく旅路の果てを描いたもの。四人の女に扮する日本映画のベテラン女優、杉村、望月、細川、沢村の競演は充実した感動を与へます。
映画随筆〈並木座ウィークリー〉(その三十七)
成瀬さんについて 藤本真澄
二十年近いという個人的付き合いから、成瀬の新進監督時代からの思い出ばなしと、彼の作品履歴を。
〈WIPE〉東宝で空想科学映画を製作すると云う。題名はゴリラとクジラのあいのこみたいな──「ゴジラ」。この怪物放射能を吐くそうであるが日本の特殊技術のため万丈の気を吐いてもらいたい。 独立プロの危機、真面目な企画ゆえに同情を禁じ得ない。心あるファンは決して見捨てはしまい。風前の(ともしび)になる前に(ともしび)を掲げて進む熱意を燃せ。
〈観客席〉並木座へ行く度に嬉しく思います。良い映画が観られるのは勿論ですが、感じのよいプログラムがいただけるからです。現在何処の映画館へ行ってもタダでプログラムがいただける所はありません。  ※ハハ、こういう投書は載せますよね。(1954・7・14)
●38号 扉は 「溝口健二素描」 前号と同じ画家かな。
今日もし映画監督の世界を棋界にたとえると、名誉名人の風格を持っているのが溝口監督である。 と。
上映は「噂の女」(大映
脚本・依田義賢/成沢昌茂 監督・溝口健二 撮影・宮川一夫
主演・久我美子田中絹代大谷友右衛門進藤英太郎
〈解説〉京都の花街に息ずく太夫の様々の姿を鋭く衝き、美しい母と娘の愛情の矛盾と花街にのこる古い因習と、若い世代の相克の悲劇を描く溝口健二得意の女の生態を描く力作である。
「映画随筆」が割愛されて、今号は二つの「映画評紹介」が載っています。一つは「サンデー毎日」所載のもので物語を主として書かれて、おおむね好評。もう一つは「キネマ旬報」の双葉十三郎のもので、やけに辛口です。  こういった構成のプログラムも面白い。
〈観客席〉何処の劇場でも立って観ることの嫌ひな私も並木座だけは行く度に立って観てしまう。空席が無いし好きで行くんだから仕方がないけど…… ※折りたたみの補助椅子でもあれば、との投書です。なにせ客席数が少ないからね。(1954・7・28)

●39号 「ともしび」に使用の笠 スタッフの名前がズラリ。
上映は「ともしび」(日教組後援による自主製作)
製作・伊藤武郎/川久保勝正 脚本・家城巳代治/神谷量平
主演・内藤武敏/増田順二/加藤嘉/永井智雄/香川京子
〈解説〉教員の政治活動制限が立法化されようとしていた時、「正しい教育とは何か?」という重要な問題を子供たちの立場から考えてみたいと意図している。子供たちの大好きな先生が、村の旧い勢力によって学校を追われた後、学校は暗くなったが、先生によって灯された「ともしび」を自分達だけの力で守り、明るく生々と成長して行く、この新しい芽生えは、やがて大きな炎となって、日本の夜明けを築いて行くに違いない。
「映画随筆」はお休みですが、「ともしび」の感動 香川京子  という文が載っています。ロケ先から並木座に届いた感想文とのことで、後記「支配人室」で、その心くばりに感謝の弁が。
今週は同時上映に「月の輪古墳」(記録映画)があって、この映画に対しては文部省推薦映画拒否問題が話題に。
日教組が推薦していることや、イデオロギー問題もあるのでしょう、分科審議会が10対1で推薦同意しているものを、文部大臣が拒んでいます。
〈大内委員長の話〉この分科審議会の誕生当時は、過半数の賛成があれば推薦とするということだったが「蟹工船」でもめた時に文部省側の申し入れで、三分の二以上の賛成ということになり、それが「ひろしま」の場合に適用された。こう度々われわれの意見が無視されるようなら、分科審議会など止めた方がいいと思う。また委員には、いわゆる左翼的な人など一人もいない。
三笠宮様の話〉この映画が文相のいうように不適当なものとは思えない。今度の古墳の発掘は考古学上も立派な業績だと思う。官製の歴史でなく、下からの国民の歴史学が盛り上がっていると深く感銘した。
〈大達文相の話〉私は映画をみていないが、下の者から相当イデオロギッシュな点が出ているし推薦とするのはどうかと思うと聞いた。自分が不適当だと思うことをそのまま通すわけには行かない。  ※あらまぁ、お上は今も昔もムチャな言い分!(1954・8・4)

●40号 扉は 「一九四五年 八月六日 八時十五分」
 きのこ雲の写真と「原爆の子」シナリオ抜粋
上映は ☆平和祈念☆ 終戦九周年特別興行として四、三、七日のスケジュールで「真空地帯」「原爆の子」「ひめゆりの塔
「真空地帯」(時の演劇人総出演といった作品)
原作・野間宏 監督・山本薩夫 主演・木村功/神田隆
「原爆の子」(チェコ国際映画祭 平和賞受賞)
製作・吉村公三郎 脚本/監督・新藤兼人 主演・乙羽信子
ひめゆりの塔
製作・マキノ光雄 脚本・水木杏子 監督・今井正
主演・津島恵子香川京子岡田英次/藤田進/原保美
映画随筆〈並木座ウィークリー〉(その三十八)
反戦映画について  井沢淳(朝日新聞学芸部記者)
※このところのラインナップ、なかなか硬派で「並木座」の面目躍如といったところですね。(1954・8・11)