8月号_

月刊「広場」8月号

毎月、確実に発行し続けての、これが第295号。
うーん、凄い!
表紙は永田竹丸さんが三十数年前に描かれたもののご提供とか。
「水着のデザインが古めかしい。描き直したほうが良かったかなァ」と、ご本人談。
いや、いや、この雰囲気が嬉しいのです!ありがとうございました。
本誌の内容は…「今号も、盛り沢山」ということで、省かせていただこう(笑)。
さて、どうやら<北京オリンピック>が始ったのですね。
出場選手たちには申し訳ないが、彼の地の開催は、プロパガンダそのもの、なんだか虚飾(虚栄)の祭典のようで…観る気がしない。これからしばらくの間、一喜一憂の大騒ぎが続くのでしょうが、ヤレヤレ。


(月遅れ連載)「並木座ウィークリー」と共に  第13回
 連載も13回ということは、これで全25回予定の「折り返し点」に到達ということになりますね。振り返ればアッという間です。若干お疲れ気味で、ネタ詰まりでもありますが、もう一踏ん張りいたしましょう。 
 私が高校入学と共に同居することになったためではないだろうが、同居してすぐにカズは職住至近の「自由が丘松竹劇場」から別の映画館に異動となった。そこは「大井スズラン座」というY興行が経営する三つ目の映画館。立場は同じ劇場支配人です。封切館だったのか、二番、三番館だったのか、名画座だったのか、洋画系だったのか、そこらは一切不明(覚えてない・笑)。東急大井町線の始発駅「大井町」にあった劇場で、自由が丘からもそう遠くではないが、私は一度しか行ったことがない。映画鑑賞は洋画ロードショー以外は自由が丘で全てが片付くから、わざわざ出かける必要も無いしね。その一度も映画を観に行ったんじゃなくて、カズに会いに。
 なにしろカズときたら私が学校に行くときには寝てるし、夜は私が起きてる時間にゃまず帰ってこない。父子の会話の実現は、私がカズの仕事場に押しかけないと難しいのですよ。このときも何かの相談事があってのことだったんじゃないのかな。
 十数年経ってから、改めて一つ屋根の下に暮らすという父と息子の関係は、どこかお互いぎごちなく、私としても素直に「おとうさん」なんて口に出せないのですよ。「ねぇ…」とか「あのさぁ…」とかでごまかしちゃう。カズはその辺は無頓着を装ってるのか、強がってるのか、負い目を感じてるくせに、いつだって「俺は親父なんだ!」って偉そうに振舞ってた。倅のためなら俺はいくらでも力になってやるぞ!というような。
 高校一年の夏休み明けにこんなことがあった。私はその夏休みを全て使って全72ページのマンガを描いたことがあるのだが、それを講談社と光文社に持ち込んで、編集の人に見てもらって、意見を聞いて、もう私はそれで大満足。終ったことだった。ところが、カズは「その原稿を俺に預けろ」と言うのですね。「貸本業者を知ってるから見せる」と。そんなぁ…中身は火星を舞台のSF漫画だし、そんな目的で描いたんじゃないよ! と言っても無駄なこと。ある日、大井町に持っていってしまいました。結果は…もちろんムニャムニャ…何も進展があるわけが無い。しばらくして原稿は私の手元に返された。カズは何も言わない。だから、その間の経緯は未だに分からないままです。ホントに誰かに見せたのかしら? ただ、可笑しいのは、今も残るその原稿全ての裏面に、カズの字で私の名前が書いてあるのですよ。大井スズラン座の事務室で一枚一枚原稿の裏に署名しているカズの様子を想像すると今でも頬がゆるみます。バカなことやる人だなって。当人は大真面目で、かつて私を「子役」にしようと企んだころと少しも変わってません。ま、これもある種の「親バカ」と言っていいのかもしれませんね。子供の才能?の可能性に賭けようという。
 カズの空回りは私が三年のときにさらに発揮されます。私が「進学はせずにアニメーターになりたいのだ」と告げると、「だったら俺に任せろ」「え、どういうこと?」「俺が東映に頼んでやる」また始まった(笑)。もっとも、当時どうやったらアニメーターになれるのかなんて、具体的には何も分からなかった私です。希望する虫プロダクションの求人情況は知らないし、「西遊記」や「少年猿飛佐助」の劇場用漫画映画で承知の東映動画に入社できるならそれは願ってもないこと、カズは一応映画業界の人間、何らかのコネがあっても不思議はないのかな…なんてことで、とりあえずは「じゃ、お願いします」と。そしたら、ホントに東映の人にコンタクトしたらしく、「大丈夫だとさ。研修後の初任給は3万だ」「エエ〜ッ!」いやぁあのときゃ驚いた。高卒の初任給が1万数千円の時代です。アニメーターって凄い。私もすっかり有頂天。ところが、これがとんだぬか喜びでした。
 カズが頼んだ人は東映東映でも東映本社のエライさん。肝心の東映動画ではなかった。しかし、その人も安請け合いをしたものですな。専門的な技術、才能が要求される仕事にコネ入社など有り得ませんて。しかも東映動画は例年行っていた定期採用を前年限りで打ち切り、新規採用は中止となっていたのです。で、どうなったか? その東映のエライ人の計らいで特別に採用試験を受けることになったのですよ。
 では49号から52号の紹介。
●49号 扉は 悪の愉しさ 伊豆肇(えと文)
上映は「悪の愉しさ」(東映作品)
原作・石川達三 脚本・猪俣勝人 監督・千葉泰樹
主演・伊藤久哉/杉葉子久我美子森雅之/伊豆肇
〈解説〉
現代の身動きならない社会の重圧に絶望し、歪められた、人間性と道徳とを追究して、一人の凡庸なサラリーマンが選んだ異常な悪徳と愉楽の世界の悲劇を描き、現代人が抱く不安を指摘し、現実の汚濁に反抗と問題を提出する作品である。
「演出にあたって」 千葉泰樹
「現代は、絢爛たる悪の時代だ…。」これはこの作品の主人公中根玄二郎の感懐である。(略)中根は、自らを「悪」の化身とし、自らの「悪」を肯定しさえすれば、この世は将に、こよなき愉しさに満ち満ちたものではないか。これが中根の生活の信条であった。(略)愛に渇き、憎しみに溺れる彼の孤独な精神は、裏返しにされた現代の青春の象徴であろう。私は中根玄二郎の心の奥底での号泣に、胸をかきむしられる様な共感を覚えつつ、この仕事に取り組んだ。
「シナリオ 悪の愉しさ」 猪俣勝人 
(略)この作の主人公中根玄二郎の悪は、現代人すべての心に潜み、うごめく、小悪魔だからだ。そして、みんなこの小悪魔と闘い、勝ったり負けたりし乍ら、この生き難い社会生活をあくせくと送っているからだ。中根玄二郎の中に、全く自己の投影を感じない人は、凡らく現代人のセンスを持たぬ人だといっても、あえていい過ぎではないであろう。
〈WIPE〉
新潟、香川両県の児童福祉審議会が「悪の愉しさ」を好ましからざるものとしてシャット・アウト。(略)一般観客の観覧禁止を訴えて宣伝効果百%。
東映「唄う狸御殿」松竹「満月狸御殿」が正月作品で鉢合せ。この<狸もの>ひばりの争奪で今や狸合戦たけなわである。(1954・11・3)
●50号 扉は 日本髪 内田巌画伯  新聞小説「縮図」の挿画原図
上映は 〈競演女優・三人集〉として5、5、4日間で
乙羽信子「縮図」(昭和28年近代映協作品)
製作・吉村公三郎 原作・徳田秋声 脚本/監督・新藤兼人 
高峰秀子「雁」(昭和28年大映作品)
原作・森鴎外 脚本・成沢昌茂 監督・豊田四郎
京マチ子「春琴物語」(昭和29年大映作品)
原作・谷崎潤一郎 脚本・八尋不二 監督・伊藤大輔
○映画随筆〈並木座ウィークリー〉(第五十号)
「三人のプロフィール」 野口久光
こんどの二週間に亘る「競演女優三人集」という特別プロは並木座らしいうまい企画だとおもう。この三人の第一線スターは人気に甘えたり、美貌を売りものにしたりしていない。(略)僕はこの三人が同じ年令(※大正13年生)だということを今まで知らなかったが、映画歴にちがいはあっても、わがくにの代表的な文学の映画化にそれぞれ主演している三人の演技は観物である。  
〈WIPE〉
ゴジラ」を作って当てた東宝では引き続いて「透明人間」「アルプスの雪男」と空想科学映画を作るとか。
正月作品ひばりの<狸もの>で松竹と東映が合戦を演じたが東映の企画取り下げでけり。
〈観客席〉
─頷き難い中根の社会観─と題して「悪の愉しさ」鑑賞後の長文の感想が載っている。
「結論から申せば、私は実に不快な後味と共に、愛する並木座を後に致しました。(略)」って、映画内容に対する不満が綿々と…。(1954・11・10)
●51号 扉は 潮騒のロケーション地 (文とえ)松山崇
上映は「潮騒」(東宝作品)
製作・田中友幸 原作・三島由紀夫 監督・谷口千吉
主演・久保明/青山京子/沢村貞子
〈解説〉
逞しく健康な漁師の若者と汚れを知らぬ処女との原始的とも思える素朴で至純の恋物語を自然の階律と音楽で美しく奏でていく作品である。
〈映画評紹介〉
潮騒」小感 大橋恭彦(共立通信より)
 東宝の「潮騒」の評判がいい。清潔な思春期ものなどひと言にかたづけられては三島由紀夫も不服だろうが、映画はそんな印象を受けるでき栄えであった。
「健康な谷口演出」 井沢淳(朝日新聞より)
不調をきわめていた東宝がやっと佳作を生み出した。谷口千吉演出は青年と娘のあまい恋愛を、美しく描いており、思春期ものとしては日本映画としては飛び抜けてすぐれた作品である。 
〈WIPE〉
エヴァ・ガードナーが二十九日来日する。「裸足の伯爵夫人」の海外公開を記念して。
〈観客席〉 
─「悪の愉しさ」座談会・後記─として、並木座友の会主催のスタッフを囲む座談会の様子が載っている。
「封切されるや、その内容が全く類型を脱している点から、種々の問題もありましただけに…(略)」って、この映画、いったいどんな作品なのか!見てみたいものですねぇ。(1954・11・24)
●52号 扉は 芥川比呂志素描
上映は「愛と死の谷間」(日活作品)
製作・初田敬 原作/脚本・椎名麟三 監督・五所平之助 
主演・津島恵子芥川比呂志宇野重吉乙羽信子木村功
〈解説〉
 現代の不安と愛情の行方を、諷刺とユーモアで描破し、その的確、要を得た演出は重厚そのものである。
〈映画評紹介〉
「実験の域に止る」 東京新聞映評(敏)  
〈観客席〉
並木座への愛着─という、長文のお手紙紹介。
(略)何故並木座にひかれるのかといへば、その雰囲気、従業員の方の心くばり、思い出に残る名画ばかりの上映、そして立派なプログラムを頂けることなどです。(略)
と、褒め言葉ばかりが続く(笑)。(1954・12・1)