いろいろ_

『広場』3月号

「広場」3月号の到着。おや、題字デザインが変わりました。カラー対応で、この爽やかな表紙絵は八木信治さん。
今号の中身はマンガ、イラスト、資料図版も多く、執筆者の顔ぶれも増えていつもより賑やかな印象、こういうのは大歓迎です。会員の皆さん、どんどん寄稿しましょう!ROMはダメよ(笑)。
私の連載ももう9回目。今回はちょっと寄り道して中学時代の、貸本劇画に夢中だったことを書きました。
ビッグコミック1(ONE)を購入。
カツ坊(勝川克志)の「ドクロ党の人々」が載っています。
いくら巻頭カラーだからって、4ページ連載で次は7月っての…ひっぱりすぎだい!
この雑誌、他にも意外な作品と出会えるから面白い。今号は、みやわき心太郎さんのセミドキュメント「江戸しぐさ残すべし」でした。懐かしい(失礼!)お名前です。私、はるか遠い昔にお会いしてるのだ。優しいペンタッチで、目の描き方がなんとも上品(睫毛に特徴…って妙に具体的)。
それと「神様の伴走者(手塚番)」外伝、藤子不二雄Aインタビューも。トキワ荘の頃の話題が出てくると、つい引き込まれてしまう。
で、A先生の記憶に間違い見っけ!トキワ荘の向かいは郵便局じゃなくて電話局(現NTT)ですよォ(私の記憶が正しい・笑)。
手塚がらみで「リボンの騎士」がリメイクのニュース。講談社「なかよし」で次号から。
http://games.nakayosi-net.com/manga/index3.html
この作品(私にとってはアニメ)、原画マンとしての初めての仕事だっただけに、愛着あり。こうまで違うキャラクターデザインでは、なんともはや…(見なかったこと、見なかったこと)。
昨日から今年最初の彩の国「古本まつり」が始まっている。4ヶ月ぶり、行かねば!
じゃ、「並木座ウィークリーと共に」の月遅れ掲載をどうぞ。


並木座ウィークリー」と共に  第八回
──マイ・オールド・シネマ・パラダイス──
 開館となった「自由が丘松竹」。これは当時、邦画の名画座として在った映画館「自由が丘名画座」が、松竹系の封切館として生まれ変わったものと記憶している。オーナーが同じだったのかどうかまでは私は知らない。もう半世紀近くも前のことだし、当事者ではないので(笑)。カズはこの劇場の支配人となったのです。この時のカズは三十代半ば、豊島園での野外映画会の場で映写技師としてスカウトされて以来約十年、まぁまぁのキャリアアップだったといえましょう、でも、一家七人の暮らしを支える現実に変わりはありません。厳しい生活はまだまだ続きます。
 さて、この自由が丘松竹、さほどの客席数ではない(せいぜい二〜三〇〇)。二階席は無く、二階の位置には映写室と、住み込み従業員の部屋が長い廊下沿いにいくつか有るだけという小さな劇場だった。もっとも、この自由が丘は他にこういった映画館がいくつも在るという土地柄。すぐ隣には東宝映画の封切館「南風座」。道を挟んだ向かいには大映映画の「ロマンス座」(この劇場でフィルム運びのアルバイトをしていたのがボクサー当時の「カッパの清作」こと斉藤清作、後の「たこ八郎」。自転車の荷台にフィルム缶を積んで走っているのを私も見かけた。当時からユニークなボクサーとして話題だった・余談)。ちょっと離れて東映系の「武蔵野館」。駅から続く東横線の線路沿いの商店街ビル二階には日活映画の「ヒカリ座」。ガードをくぐっての場所には洋画三本立て上映の「自由が丘劇場」と、なんと、この狭い街に六館も!つまりは、それだけ映画全盛の時代だったということ。昭和三十年代前半です。
 カズ一家は当初は他の従業員同様に住み込みだったが、小学生となる娘の住所が「映画館内」では可哀相と、すぐ隣の緑が丘に家を借りることに(といっても戸建て二世帯住宅の二階部分)。こうして職住一緒という生活は短期間で終わりを告げたのです。ヤレヤレ。
 私といえば、当時すでにすっかり映画にはまっていましたから、この自由が丘は羨望の地と化します。中学生になったし、一人で出歩けるからと、休日は「映画の日」とばかりに、椎名町から電車を乗り継いで自由が丘へと通うのです。時には前日から泊りがけで(といっても毎週じゃないよ)。カズの手元には常に前記の全劇場の招待券があるから、私はいつだって観放題!まさにこの世はバラ色です(笑)。こうして、小学生の頃には馴染みの無かった大映、日活の映画や、洋画も観るようになったのです。さらには、「渋谷パンテオン」といった洋画ロードショー劇場や、その東急文化会館地下のニュース映画専門館にまでも鑑賞範囲は広がります。だいたいがその場限りのお楽しみっていう観方だし、中身なんて殆んど覚えていない。このころどんな映画を見ていたのか、とりあえずタイトルだけの列挙をしてみましょうか…
☆「自由が丘松竹」ではトニー・ザイラー主演の「銀嶺の王者」。なんでこんなの覚えているかというと、共演の鰐淵晴子が母親と共に観に来たところに遭遇したのだ(凄いオーラが!)。松竹ヌーベル・バーグの「青春残酷物語」「太陽の墓場」「乾いた湖」と、小津の「秋日和」。岩下志麻の「あの波の果てまで」。独立プロ作品の「キクとイサム」。
☆「南風座」では森繁の「社長」シリーズと「駅前」シリーズを。岡本喜八の「独立愚連隊」。オールスターものの「日本誕生」「太平洋の嵐」や「娘・妻・母」「がめつい奴」「用心棒」。黒澤プロ作品として「悪い奴ほどよく眠る」。
☆「ロマンス座」では…うーん、勝新の「悪名」くらいしか思い出せない。「座頭市」「兵隊ヤクザ」はもう少し先となる。
☆「ヒカリ座」はもちろん旭の「渡り鳥」シリーズですね。なぜだか裕次郎映画は敬遠?していた。
☆「武蔵野館」は錦之助の「宮本武蔵」かな。
☆「自由が丘劇場」はろくなもの観ていない(失礼)。オーディー・マーフィーの西部劇とか、ボップ・ホープの喜劇とかばっかりね。
まぁ、こんな映画三昧の生活を送るお気楽な中学生は、私くらいのもの。この後、高校進学の転機に、私は人生において取り返しのつかない(今となれば悔やまれる?)決断をしてしまうのであります。それは…次号だ。
では、29号から32号の紹介。
●29号 扉の色紙絵は「1954・5・1 並木座上映記念 小源太 田崎潤」と署名が有り、「地獄もこんな処だったら行ってもいいな」とあります。つまり、上映作品は27号でも予告された
「地獄門」(大映作品) カンヌ映画祭グランプリ受賞作品。 
製作・永田雅一 原作・菊池寛 脚本/監督・衣笠貞之助
主演・長谷川一夫京マチ子山形勲沢村国太郎
解説に、「平治の乱を背景に人間の愛憎のはげしさ、夫婦愛のきびしさを深く描いた我が国で初めての天然色映画である。」と。
もうひとつ「グランプリに就いて」と題して、カンヌとヴェニスの国際映画祭についての解説記事。
映画随筆〈並木座ウィクリー〉(その二十九)
「話題の人 衣笠貞之助に就いて」 共同通信転載の無記名記事。
〈映画ファン教育(エチケット)〉はイーストマン・カラーの技術的解説。…と、今号は解説ばかり。何となく、上映に至るまでの大映の厚意に配慮してなのか、編集に少々固さが感じられますね。
〈観客席〉雨の日に、一番前の席に腰を下ろした友人が前の通路に水がたまっていたのでズボンを汚してしまった。早く直して欲しい。
〈支配人室〉場内浸水の件は原因が解り修理致しましたから、もう心配ありません。  …って、ゴメンは無し? らしくないな(笑)。(1954・5・19)
●30号 扉絵は角梨枝子素描
上映は「放浪記」(大映映画)
原作・林芙美子 監督・久松静児 主演・角梨枝子/岡田英次
「演出に当りて」 久松静児
どんな環境の中におかれても、林さんの絶えず人間を賛美してきた、脈うつ善意への肯定を描きたいと思う。
映画随筆〈並木座ウィクリー〉(その三十)
楽天家の涙を」 角梨枝子 (映画ファン転載)
この役を引き受けるまでのためらい、重責について綿々と。人々は林さんの面影を私に求めるに違いない。…と。
〈映画ファン教育(エチケット)〉は「五社協定」について。スターの引き抜き防止のための協定で、映画界として余り名誉な話ではない。成長をすれば巣立つのが当たり前のこと。その成長を止める様な事になれば映画界全体の退歩になるだろう。私たちは良い映画のファンなのだから。 …この後も長く続いたシステムですよねぇ。
〈WIPE〉シリーズものの映画を各社競作している。東宝の「次郎長もの」東映の「河岸の石松」大映の「花の……」等。お金儲け、儲かったら何と言われようとやめられない。長谷川一夫の「花のシリーズ」ものは弗箱。「羅生門」「地獄門」はグランプリを獲得。「花の門」を企画されては如何?  こうでなくっちゃ!(笑)。(1954・5・26)
●31号 扉絵は五所平之助素描
「今日の大都会大阪の、その片隅で、せい一ぱいに日々を生きている、善意だが、不幸な庶民たちを、静かに描きたいと思います。」
上映は「大阪の宿」(新東宝作品)
原作・水上滝太郎 脚本・八住利雄五所平之助 監督・五所平之助 主演・佐野周二乙羽信子水戸光子左幸子
五所平之助」 筈見恒夫 (映画ファン監督ベスト・テンより)
「何か迫力が足りない」と、ちょっと辛口な批評がそのまま転載されていますね。
映画随筆〈並木座ウィクリー〉(その三十一)
「大阪の藝者」 乙羽信子 (映画ファン転載)
大酒のみの〈うわばみ〉という芸者役だが、自分は一滴も飲めない。
太っ腹な女を陰性な自分が演じるのは本当に難しい。今まで演じた役とは余りに違うので困った。 …と、表現するための努力の話を。 
〈WIPE〉日活製作開始で、すばらしい近代的な撮影所を造る。立派な撮影所が泣かない様な良い写真を作ってもらいたい。
〈観客席〉封切りの劇場と同じ額の十円の値下げを断行した、小さな並木座の勇気に、感謝致します。(入場税が地方税から国税に切り替わったためとか)
〈支配人室〉最近並木座ウィークリーが人々から認められて参りました。それにつれて古いプロが貴重に成りました。並木座にも三部と残ってないのは、一号と四号です。二部二百円で是非とも買いたいと言ふ方がありますが、若しもございましたら支配人室宛お知らせ下さい。(注・このときの入場料金は七十円)(1954・6・2)
●32号 扉絵は岩田専太郎による山中貞雄の似顔。サインは山中会同人たち(山中貞雄を偲ぶ会・昭和二十九年六月九日)
上映は四日間で、二本立て。併せて同人たちによる追悼講演も。
河内山宗俊」(昭和十一年・日活作品)
原作/監督・山中貞雄 主演・河原崎長十郎中村翫右衛門
「百万両の壺」(昭和十年・日活作品) ※丹下左膳もの
原作・林不忘 脚色・三村伸太郎 監督・山中貞雄
主演・大河内伝次郎/喜代三
映画随筆〈並木座ウィクリー〉(その三十二)
山中貞雄を偲ぶ」岸松雄
「昨年の十一月上旬、山中貞雄の十七回忌を京都の菩提寺で営んだ。」で始まる、映画人たち多数が登場する長文の思い出話。とても要約できません。
「わが友山中貞雄」筈見恒夫(東和映画宣伝部長)
ここでもひたすら「寂しい、あんなに愛すべき友達はいない」と。
で、最終ページに「山中貞雄略歴」が載っている。それによると、
明治四十二年に京都で生まれ、マキノキネマ、東亜キネマを経て昭和六年寛寿郎プロにて初監督「抱寝の長脇差」、八年に日活入社、時代劇一筋に撮り続け、十二年に東宝入社、第一回作品「人情紙風船」を撮り終わったところで応召を受け戦場へ。十三年に北支方面転戦中に風土病にて戦没、行年三十歳の若さなり。 …いやぁ壮絶!(1954・6・9)