またも!_

芦田さんのマンガ

ジャニカから前代表の芦田豊雄さんが亡くなったとの連絡。
アニメーターでもありアニメ監督、アニメ制作会社「スタジオライブ」の会長さん。
ネットにも↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110725-00001104-yom-ent
個人的な関係では…
かつて虫プロ「新・ムーミン」のとき、作画監督という立場でスタジオにいらした。
このときの私は既に虫プロは辞していて、フリーの演出&原画。
なので、先輩後輩という意識はなく同業者……いや、やはり先輩かな(あちらが年長だし)。
彼には、スナフキンやらミーやら、私の描く下手な原画を修正してもらってたわけです。
一緒に仕事したのはこのときだけだけど、けっこう濃い時間でした。
ま、その後はお互いそれぞれ。
彼、私同様に貸本劇画を知ってる世代で、後年はマンガ執筆も。
画像は「暴流愚(ぼるぐ)」1(少年画報社YKコミックス・平成13年刊)
このコミックスの巻末に、彼の「マンガ界から消えた世代の謎」という文が載っています。
要約すると…
<昔、大阪で「日の丸文庫」を中心に新しいマンガカルチャーが起こり、その中核の「影」というマンガ月刊誌に多くのスター作家が登場・活躍した。
このマンガは「劇画」と名付けられたが、当時のマンガ家予備軍に大きな影響を及ぼして、貸本が予備軍たちのマンガ投稿の場になった。
しかし、ほどなく手塚先生のアニメ制作会社「虫プロダクション」が発足! TVアニメ「鉄腕アトム」スタートのショックは、劇画登場をはるかに凌駕し、その影響がマンガ家として世に出るべき才能を次々とアニメの世界に吸収してしまった。
これが、1941〜47年生まれのマンガ家が少ない理由である。
トキワ荘グループ」に続く世代は印刷マンガの世界に登場することなく消えていった。さて、そのころの私は…(第2巻をお楽しみに)>

…とあるのです。私、続きが読みたくてね(笑)。
或る時、本人に直接訊きました。
「コミックスの第2巻、見当たらないんだけど?」
「いやぁ、いろいろあってねぇ…」
どうやら本誌連載が終わってしまったようなのです。残念至極!
こんなこともだから私、なんとなくシンパシーをね(予備軍同士)。
ジャニカ応援団へのお誘いも彼からだったし、「そのうちそのうち」じゃなく、も少し密なお付き合いしたかった…
享年67、ご冥福を。