「広場」2月号_

「広場」2月号

窓の外は久し振りの雪景色…そんな中、毎月10日頃に発行される筈の月刊「広場」が、もう到着した。
編集作業がことのほか順調に運んだということでしょうか、主宰の奮迅振りが目に浮かびますね。今後もご迷惑をかけぬよう、私も締め切りを順守しましょう。
今号の表紙は広井良昌さんの「店」。
「陣屋」っていううどん屋さんが川越にあるけど…もしかしてコレ改装前のかしら?いい風情が出てますねぇ。
今号の目玉は長谷邦夫さんの「マンガ講師体験記」(前篇)かな。
講師業?の舞台裏などが紹介されていて、実に興味深い内容ですね。にしても、3時間の講義のために、往復10時間と1泊をかける!なんて凄すぎますって。まさに先生の「漫画に対する愛」が感じられます。今から(後編)が楽しみ。
他には恒例の手塚関連と…そう、いつにも増して「懐かし映画」の記事多し。
私の「並木座ウィークリーと共に」での紹介画像の文が読めないよとのご指摘。これは権利問題に対する主宰の深慮遠謀であって、けして意地悪ではありません。どうぞご理解を(と、いってもこのあたりの判断は難しいですねぇ…今号では復活?)。
巻末の永田竹丸さんの「わたしの漫画50年」は、絞られたテーマでの記事がボリュームたっぷりなのに驚きつつ、懐かしい気持ちと共に一気に読みました。
おっと、もう一つの記事には驚いた。なんと、それは主宰の奥様の原稿だ。創刊以来38年、この方の支えがあってこその「広場」なのですねぇ。深謝!!!
じゃ、私もちょっと早いけど、前号分を転載。


並木座ウィークリー」と共に  第七回
──マイ・オールド・シネマ・パラダイス──
昭和32年秋、カズに遅れること一年ばかりののち、カズを並木座に引っ張った創立時からの支配人で、「並木座ウィークリー」の編集人でもあるSさんが並木座を辞した。当時の映画プロデューサーでもあった小川吉衛がオーナーの会社「Y手興行」からのヘッド・ハンティングだった(小川吉衛の奥さんは女優の山根寿子、後年お目にかかったことがあるが、綺麗な人だったなぁ…余談)。
任された映画館は「目黒スカラ座」。観客数100人ばかりの小さな映画館と違い、目黒の権之助坂途中に在る、当時洋画のロードショーをかけていた大きな劇場だ。並木座の基盤は出来たということでの円満退社、Sさんはここでまた「清瀬映画」で働いていたカズに声を掛けるのです。
「そんな僻地でくすぶってることはないさ。また一緒にやろうぜ、兄弟!」と、言ったかどうかは知らないが(清瀬に失礼だ・笑)カズはまたそれにホイホイと乗ったのです。翌年には清瀬映画を辞め、再びSさんの元に馳せ参じた。まぁ、このSさんとは以降数十年、亡くなるまでのお付き合いが続くんだから、もう実の兄弟みたいなものですね。私などには窺い知れない深ーい結びつきがあるのでしょう、きっと(私の「身元保証人」ということにもなっていた)。勤務地が目黒ということで、カズ一家は再び私と祖父母が暮らす椎名町から去っていきました。新しい住まいは…不明(笑)。
では、腕利きで鳴らしたカズは目黒スカラ座の映写技師になったのかというと…これが実は実はでありまして、Y手興行というのは文字通り「興行」会社でありますから、やっているのが映画館だけではないのです。カズに与えられた職責は、な、なんと、「パチンコ屋の支配人」だったぁ〜〜〜ッ!!!
このパチンコ屋さん、目黒スカラ座の手前隣に在りました。当時のパチ屋(こう呼んでいた)は、台の裏側に狭い通路があって、「オーイ、出ないよ」台の上からおねぇさんが顔覗かせて「どうしました?」なんてね(笑)。カズ一家の住まいは、不明の筈だよ、そこの住み込みだったのだ!
小学校の6年生だったかの私は何度か遊びに(?)行ったことがあるけど、カズはパチンコ台の扉を開けて、短い金属棒の先にパチンコ玉が溶接されてる奴で釘の撥ね具合を確かめたりの、いわゆる「釘師」って奴をやってましたよ。曲げた人差し指の上でその金属棒を微妙に上下させて玉を釘に当てる。これが、けっこう面白い(笑)。だから、私も台の裏側のメカニズムなんかを感心して見ていた「へぇ、こうやって玉が流れていくのかぁ…上皿と下皿の玉の重さで台の傾きが変わるとはねぇ」。従業員の部屋に置いてある研修用の台で打たせてももらった。「天のこの位置を狙って打つんだ。ここの釘の開き具合が決め手だぞ」なんて十二歳の息子に教えるバカ親の指導の下で。しかし後年、私にはこれがとっても役に立ったのですな(余談・笑)。
妹たちはそろそろ学齢だし、さすがにこれは良くないと思ったのでしょうか、ほどなくカズはY手興行が新たに自由が丘にオープンした映画館「自由が丘松竹」の支配人となりました。今にして思えば、おそらくその約束での清瀬映画からの引き抜きだったのでしょうね。劇場が出来上がるまでの間、ちょっとだけ頼むよという「釘師」役。なんたって腕の立つ技術屋さんだからね、カズは(ヤーさんにも顔が利くし・笑)。
なかなか映画の中身の話が出てこないね、今回は。まぁいいか。「自由が丘松竹」は文字通り、松竹映画の封切館です。そこの話は次回にでも。
じゃ、25号から28号のご紹介。
●25号 今井 正 素描    
この号あたりから映画人の似顔が表紙に登場し始めます。どれもみな達者な筆致ですが、残念なことに作者の紹介が無いものが多い。イニシャルが入っていたりもするが、それだけでは特定は無理。描き下ろしなのかどうかも不明です。専任の絵描きさんなんていなかったでしょうしね。
上映は「今井 正選集」として六日間、三日間、五日間のスケジュールで次の三作品が。
にごりえ」(文学座・新世紀映画社共同製作)
第一話「十三夜」主演・三津田健/丹阿弥谷津子芥川比呂志
第二話「大つごもり」主演・仲谷昇久我美子中村伸郎
第三話「にごりえ」主演・淡島千景山村聰杉村春子
脚本は全て水木洋子井手俊郎 音楽・団でもこれ、二月に「並木座」で上映してるんですよね(ウィークリー第十七号参照)。先ずはそのときの好評に応えてのアンコール上映なのでしょう。 
「山びこ学校」(八木プロ・日教組共同製作)
脚本・八木隆一郎 主演・木村功岡田英次杉葉子滝沢修
無着成恭先生のベストセラー、山形県元村の中学生の作文集「山びこ学校」の映画化
「また逢ふ日まで」(東宝作品)
脚本・水木洋子八住利雄 主演・岡田英次滝沢修久我美子杉村春子
「太平洋戦争の末期、若い二人の美しいふれあいをうたう恋愛至上主義の映画」とあります。この映画、今井監督特集をやるとの予告で設置した場内投票箱による投票で、「にごりえ」に次ぐ第二位だったとのこと。観客の希望にちゃんと応える方針が素晴らしい!ちなみに第三位は「山びこ学校」「ひめゆりの塔」「どっこい生きている」が競って、結局、最も上映機会の少ない「山びこ学校」を選んだと。この姿勢も偉い!
映画随筆(その二十五) もう一人の今井さん  井手俊郎
あんまり皆が今井正を讃めたたえるので、僕は今井正の悪口を書くつもりでいたが、知らず知らずのうちにやっぱり今井正を讃めている。僕の友達だった頃の今井さんは勘の鈍い、呆然とするほど下手くそな監督さんだった。書いているうちに今井正と今井さんは別の人間だということがわかって来た。 ……ということを、もっと上手に書いてます(笑)。(1954・4・7)
●26号 京マチ子 寸描 
この絵も作者不明。前号とは別の人です。
上映は「或る女」(大映作品)
あれ、企画に(前述の)小川吉衛の名が!
原作・有島武郎 脚本・八住利雄 監督・豊田四郎 
主演・京マチ子芥川比呂志森雅之船越英二
有島武郎の代表作ともいえる「或る女」の映画化。主人公「葉子」は国木田独歩の最初の妻がモデルという。才色兼美の女が、所詮は女として、自分自身の肉体の生理に打ち負けて行く、道程が、乱淫な女とも見るべき様相の中に深刻な問題と波瀾を呼んで行くのである。 ……って、オイオイ!(笑)。ちなみに、愛欲におぼれる相手役「倉地」を演じる森雅之有島武郎の遺児です。
映画随筆(その二十六) 葉子のイメージ  豊田四郎京マチ子
主人公葉子のイメージと京マチ子のイメージがどう重なるのかといった対談の様子を「日本映画」三月号よりの転載で。
〈支配人室〉(編集後記)
「地獄門」(大映)がカンヌ国際映画祭でグランプリを得たが、天然色の映画であるため長期間の使用にたえず、ニュープリントが出来るまで、並木座での上映が企画できないのが残念。京マチ子はこれで「羅生門」「地獄門」と二つの門のグランプリ女優となったが、「凱旋門」のバーグマンぐらいに広い芸域で益々頑張ってもらいたい。
「山びこ学校」の楽日にヒョッコリと本物の無着成恭先生が学生服で並木座に来られましたがボーヅ頭で元気でした。(1954・4・21)
●27号 三年前の自画像 えと文 高峰秀子
これはご本人の書下ろしですね。
上映は「女の園」(松竹作品)
原作・阿部知二(「人工庭園」より) 脚本、監督・木下恵介
主演・東山千栄子高峰三枝子金子信雄高峰秀子久我美子
〈解説〉人格主義を標榜して、いま尚根強い封建的教育を実践している女子大学に材を採り、学問と人間の自由を叫ぶ女子大生のいくつかのタイプを通して、近代女性の生活と恋愛の姿を描く野心的な女性映画である。今日の若い女性は古い思想の牢獄をやぶって美しく、正しく、健康に生きなければならない。 ……うーむ、なるほど。
映画随筆(その二十七) 「女の園」と木下監督 淀川長治
木下監督の映画表現の若々しさについて、具体的シーンを挙げながらていねいに解説しています。 …ヨッ、淀川節!
〈支配人室〉(編集後記)
前号に書いたカンヌ映画祭グランプリ大賞「地獄門」の上映方を大映に申し込んだ所、大変な好意によりまして、次々週に上映出来ることになりました! …と喜びの声。良かったですね(笑)。(1954・4・28)
●28号 事務所々見 え 石川達三
これはまた貴重な資料でもあります。今は無き並木座事務所内のスケッチですから。当時の雰囲気が伝わってきますねぇ…映画人だけじゃなく小説家、画家もしばしば遊びに来たというフレンドリーな映画館。事務所で茶飲み話していくなんて、お洒落ですよね。
上映は「山椒大夫」(大映作品)
製作・永田雅一 原作・森鴎外 脚本・八尋不二/依田義賢
監督・溝口健二 撮影・宮川一夫 音楽・早坂文雄
主演・田中絹代香川京子/花柳喜章/進藤英太郎
言わずと知れた「安寿と厨子王丸」の物語です。
映画随筆(その二十八) 溝口健二  筈見恒夫
溝口監督の業績紹介を「映画ファン」監督ベスト・テンより転載。
〈WIPE〉という映画界の話題を紹介する新コーナー(前号より)。
ゴールデン・ウィークの結果は東宝七人の侍」が第一位。やはり観客は一番よく知っている。
ローマの休日」に主演するオードリー・ヘップバーン、初演にてアカデミー主演女優賞を獲得してその人気たるや大変なもの。まさに世はヘップバーン台風の来襲とでも言ふか。
「馬ッ鹿じゃなかろうか」言わずとしれたトニー・谷の「サイザンス」に次ぐ新造語。自嘲するのか、他嘲するのか、映画の題名にまでなったとは。まさに「馬ッ鹿じゃなかろうか」。
琥珀の女王ジョセフィン・ベーカー来たりて去る。 ……とあります。あー、そんな年だったんだなぁ…(1954・5・12)つづく