月刊「広場」10月号_

「広場」10月号

今号の表紙は「走れ、はしれ」と題した西岡たかしさんの作。
童画というか、やけに優しいタッチですねぇ。ご本人を知ってるだけにどうも絵とイメージが…(失礼・笑)。
今号の目玉は「エッセイ・スペシャル」。常連以外の、より多くの方に書いていただこうという、こういった企画は大歓迎です。会の皆さん、読むだけでなくどんどん投稿しましょう!「広場」なんですから、もっと集わなきゃね。
では、私の連載「並木座ウィークリーと共に」の月遅れ掲載、第15回です。


 就職試験の役員面接、「君は、母親が違うんですねぇ」という面接官の言葉を受け、混乱した頭のままの私は、すぐに椎名町の祖母の許に駆けつけた。面接の場での出来事を話し、「どういうこと?」と問い詰める。しばしの沈黙ののち、「…そうかい、じゃ、言うしかないねぇ」そして祖母の口から、私の出生の経緯が、るる語られます。結婚して子供が生まれてもまだ夢を追いかけ、一人東京へ向かったカズのこと。そのカズのわがままに耐えきれず実家に戻った生母のこと。赤ん坊を連れて家を出ることを許さなかった祖父母の言い分。離婚の成立、東京でのカズの再婚…等々を黙って聞くしかない私。こうして、高校卒業を間近に控えたこの時期に、ようやく今までの私を取り巻くさまざまな事情の背景にあったものが、そう、ずっと祖父母との三人暮らしだった訳が理解できたのでした。少なからずあった疑問・モヤモヤが一気に氷解したのであります。かえって晴れやかで、開放されたような気分になる私でした。やはり、これからはこの祖母と二人で、この椎名町の家で暮らしていこうと再度、心に誓ったのです。
この件、自由が丘に戻った私は一切黙して語らなかったが、祖母からカズに伝わった。いきなり(継)の字が付いてしまった母はうろたえ、カズは秘密?を口外した面接官に対して憤慨するという、可笑しな反応を見せた。
分かってしまった以上、今更ジタバタしたって始まらないということなのか、「(実はそういうことなんだが)もう、俺は知らんぞ」ということなのか…(開き直りかい・笑)。カズは一言もこの話題には触れないし、それならいいさと、私も聞かない。以来、実母問題は父と息子の間の暗黙の了解ごととなっていく。継母のためにもそれがベストなのだから、コレでいいのだ!
さて、倅の卒業式は迫っている。就職は決まらない。どうするカズ! そう、カズはついに本気になって私の就職のための行動を開始した。今日は印刷会社、明日はデザイン事務所と、なんだか気乗りのしない私を連れての会社めぐりが始ったのだ。といっても全てが「つて」を頼ってのこと。一応、絵に関係する業種を選ぶところは私に対する気遣いなのだろうが。どこも今ひとつ心動かされない…とうとう就職先が決まらないまま、私の高校生活は終った。春休み…じゃないなもう(笑)。
進路が決まらないまま、桜の花が咲く四月となった。そして、さらに行脚が続いた或る日のこと。小さな映画配給…だったか制作会社だったかを訪れたとき、「アニメーターになりたいんだったら、私が紹介してあげようか」と、言ってくれた人がいた。(そこのプロデューサーのような人だったが、名前は忘れた。恩知らず!)「タツノコプロダクションっていうんだけどね」「え?」聞けばマンガ家の吉田竜夫九里一平兄弟が自分たちのアニメ作品を創るために興した、まだ新しい会社だという。この二人の名前は知っていたし、九里一平の描くマンガは、むしろファンと言っても良いくらいに読んでいた。その人たちもアニメーションを……。東映虫プロ以外にアニメのスタジオがあることを知らなかった私は「ぜ、ぜひ、お願いします!」
数日後、その人の紹介状を手に、西武国分寺線「鷹の台」駅を降りた私は、畑の中の細い道をまっすぐ「タツノコプロダクション」のスタジオに向かった。もちろん一人で。もう、ここから先は自分で切り開いていかなくては…。
雑木林に隣接したスタジオは、なんと小さな…いや、東映動画と較べちゃいけませんね。そう、二階建ての、とても親しみのもてる建物でした(笑)。面接していただいたのは吉田三兄弟の真ん中、健二さん(当時専務)。今となれば、そのときに何を話されたかなんて、全く覚えていないが、優しい口調の、温和な印象だけは記憶に残っている。何か描いたものを見せるでもなく試験もなく、その場で即、採用が決定しました。あっけないこと、この上なし。ふぅ…今までの経緯は何だったのよ?
すぐにカズに報告(「そうか」だけ)。紹介してくれた人にはカズから連絡(御礼は…はて?)。
こうして四月の半ば、アニメーターの卵がようやっと産み落とされた。はたしてこの卵、無事に孵化するものやら… 初任給は14000円。三ヶ月の試用期間が終って1000円のアップという、かつて東映動画で聞かされていたものの半分ですけど、もう、金額なんかどうでもいいやね。
では57号から60号のご紹介。
●57号 扉は 「デコちゃんの絵によせて」 野口久光
 ※主演の高峰秀子が自ら描いた絵が素敵です!
上映は「二十四の瞳
昭和29年度芸術祭賞受賞作品(文部省特選・松竹作品)
製作・桑田良太郎 原作・壺井栄 脚色監督・木下恵介
主演・高峰秀子笠智衆浦辺粂子/田村高広/月丘夢路
〈解説〉
 昭和の初めより終戦後に至る約二十年に亘る歳月を通して、瀬戸内海の小豆島を舞台に、一人の女教師と十二人の教え子たちの美しい結びつきを描きつつ、平和への祈りと人間の幸福を淡々と描写している。
☆「三台のバス」 登川直樹(映画評論家)
 この映画のなかに、バスの出てくるところが三ヵ所ある。(※それぞれのバスの違いを述べて)二十年の歳月を描くには、バスひとつにも時代の相違をはっきり描き分けるような、細心の注意と努力が秘められている。すぐれた映画とは、いつもそうしたものである。
〈映画評紹介〉「胸打つ清い感動」 井沢淳(朝日新聞より)
 すばらしい映画が出来た。二時間四十分、木下恵介の演出は淡々たる調子で、話を進めながら、感動的に結末へ盛り上げ、見終わってフランス映画「禁じられた遊び」に劣らぬ驚くべき演出力に打たれる。これを見たら、ほかの日本映画がアホらしくて見られない。(略) 
〈WIPE〉
 「ゴジラ」が一世を風靡したのはつい先日のこと。柳の下にどじうで今度は「ゴジラの逆襲」を作るそうである。企画の成功がどじうをねらって失敗にならぬよう。(原文ママ
〈支配人室〉
 並木座で正月に二十四の瞳を上映するといったら、ある友人が正月早々にワアワア泣かせる事あないじゃないかというのも一理あるが、こんなにも気持ちの良い涙を持って泣き初めしたら、今年中なんだか皆が幸福になる様な気もする。清い涙は得難いものだ!(1955・1・3)
●58号 扉は 「カクゲン」 市川崑(えと文)
上映は「女性に関する十二章」(東宝作品)
原作・伊藤整 脚本・和田夏十 監督・市川崑 
主演・津島恵子/小泉博/上原謙有馬稲子久慈あさみ
〈解説〉
 所謂「十二章ブーム」なるものを作り出した伊藤整、評判のエッセイの映画化で、恋愛関係九年という恋愛倦怠期ともいうべき二十九歳のバレリーナと銀行員との間に起る世相もろもろの事件を組立て、愛とは何か?結婚とは?そして幸福とは…と現代女性に関する問題を軽妙な諷刺と逆説をもってユーモラスに描いたものである。  
〈映画ファン教育(エチケット)〉
 昭和二十九年度キネマ旬報ベストテン決定。
(1)二十四の瞳(2)女の園(3)七人の侍(4)黒い潮(5)近松物語(6)山の音(7)晩菊(8)勲章(9)山椒大夫(10)大阪の宿(次点)この広い空のどこかに
〈支配人室〉
 キネマ旬報ベストテンの全入賞作品のことごとくが並木座で上映された訳ですが、八位と九位は封切の成績が大変に悪く無理をして特に上映したのでしたが、批評家がこの二作品を選んだのは並木座の名画館としての面目を更に高めた次第だと秘かに意を強くしました。(1955・1・15)
●59号 扉は「高峰秀子への讃辞」藤本真澄(え…野口久光
上映は「この広い空のどこかに」(文部省特選・松竹作品)
製作・久保光三 脚本・楠田芳子 監督・小林正樹
主演・佐田啓二久我美子高峰秀子石浜朗
〈解説〉
 喧騒の工場街の片隅に生活する商家にキャメラを向け、その家の中の昔ながらの家族制度という枠の中にくり展げられる夫婦、親子、兄弟、嫁と姑のつながりや、個々の人間像を淡々と描写して、底を流れる人間愛を謳いあげている。
☆「脚本 楠田芳子氏の言葉」
 ※氏は木下恵介実妹であり、木下監督とコンビを組む楠田浩之キャメラマンの夫人。
〈映画評紹介〉 井沢淳 (朝日新聞より)
 (略)主婦でないと書けないような細かい「女のセリフ」が出て来て、この映画の成功の大半は脚本である。(略)この映画では男がなにか間が抜けて、無神経に見えすぎる。小林正樹監督は、全体にケレンなく撮るが、もう一つ盛り上がるものに乏しい。 
〈映画ファン教育(エチケット)〉
 「笛吹童子」「紅孔雀」と放送劇が次から次へと映画化され、ジャリモノ(子供むき)として話題を生んでいる。いま、子供達が毎週一回楽しみにしている放送劇に「トン坊ニン坊ヤン坊」※がある。これを映画にして子供達に贈ったら、どんなに子供達が喜ぶだろうと、喜ぶ顔までが想像できるのだが、なにしろ三匹の子猿の話である。現在の日本映画では大変むずかしい事である。ここで全世界の子供達、いや大人達にも「白雪姫」や「バンビ」を贈ってくれた、デイズニイの偉大さを発見する。※ヤン、ニン、トンの順ですね(萬雅堂)
〈WIPE〉
 東映二本立映画全盛に新手を研究。漫画を加えて三本立を考慮。日本のデイズニイに発展して貰いたい。
〈支配人室〉
 ※ブルー・リボン賞の授賞式が、並木座友の会の会員を招待して並木座で行われることの予告が。(1955・1・22)
●60号 扉は 「ブルー・リボン賞のこと」(委員)岡本博
上映は「近松物語」(大映作品)
製作・永田雅一 原作・近松門左衛門 劇化・川口松太郎 
脚本・依田義賢 監督・溝口健二 撮影・宮川一夫 
主演・長谷川一夫香川京子南田洋子進藤英太郎/小沢栄
〈解説〉
 近松門左衛門の「大経師昔暦」により、劇化を川口松太郎が行ったものである。東京映画記者会選出ベストテン第二位。ブルー・リボン賞監督賞、音楽賞。都民映画コンクール銀賞。
☆「近松物語」の感動(改造より抜粋) 桑原武夫(京大教授)
〈WIPE〉
 東宝芸能学校に応募者殺到。夢多き世の子女にスターの夢を抱かせる。星屑は掃き捨てられるのだろうけど。(1955・2・2)