個人的な_

回顧話ばかりが続くこの日記です。40年も前の「レインボー戦隊ロビン」というアニメ番組のファンサイトの管理人さんからメールが入りました。
私が今月の始め頃の日記に、ブラッドベリの話題に絡めて、「入辺虎武」というペンネームをかつて使っていたことがある、と書いた記事を発見し、驚いて連絡を下さったということです。そのサイトにはOPやEDから抜き出した、制作に携わったスタッフの一覧が有り、「入辺虎武」もアニメーターの「あ行」にしっかりと載っています。しかし、備考欄には何も無し。それはそうですよね、正体不明に決まってますから(笑)。管理人さんは、この名が私のペンネームだと分かったことを、サイトに情報として載せたいというのです。その了解を貰いたいとのこと。どうぞどうぞ!です。
しかし、ネットの繋がりって凄い!!。こんなことまで実現しちゃうんですねぇ…。
で、改めて「レインボー戦隊ロビン」ですが、さて覚えてる人はどの程度いらっしゃるのかな?東映動画制作、昭和41年放送の石ノ森章太郎原作のモノクロのアニメ番組ですね。同じ石ノ森さんの「サイボーグ009」よりも前に作られていて、比較の対象にされたりしています。どうぞ一度このファンサイトをお訪ねください。ずいぶんと昔の番組ですが、熱心なファンが沢山居られるそうで、なかなか充実した興味深いサイトです。
http://homepage3.nifty.com/come_un_uccello/
この番組になんで私が関わったのかは、さらにタツノコ時代にまで遡らねばなりません。タツノコプロには天才とも噂される窪詔之さんという先輩アニメーターがいました。私もその腕に心酔する一人で、彼の独立の際には行動を共にする約束までしたほどです。しかし、私の退社&虫プロ入りの方が先になってしまった。しばらくの後、窪さんは独立し「スタジオ・ビーズ」という事務所を構えます。その最初の仕事が「レインボー戦隊ロビン」の作画グロス受注でした。私も戦力の一部として期待されていたのでしょうが、入社したばかりの虫プロをすぐに辞めるなんてことが出来る筈もなく、「窪さんが独立したら必ず協力します」という約束をどうやって果たしたらよいか…そこでの苦肉の策が<二足のわらじ>です。私は虫プロ西武池袋線、富士見台)を定時に退社すると、その足でスタジオ・ビーズ(同、東久留米)へと向かい、(東映動画のプロデューサー白川大作さん宅のすぐ隣の、普通の一軒家だった)夜中まで「ロビン」の作画を手伝ったのでした。そこで仮眠をとると朝には虫プロへと出社。こんなことを数ヶ月間は続けたのかな。まだ十九か二十歳の頃、若かったからこそ出来たのでしょうね。掛け持ちは当時からこの業界では当たり前で、罪悪感など有りません。おおっぴらにはまずいけど、社員アニメーターは「夜は自宅で別の会社のバイト」がごく普通に行われてました。虫プロの人間は東映の、東映の人は虫プロの仕事を外注するのです。現場互助会みたい(笑)。TVアニメの黎明期で、それだけ人材不足だったということでしょうね。とにかくこの時代は仕事が面白くて、一日中机に向かっているのが少しも苦でなかったのも事実です。
スタッフタイトルに「入辺虎武」も載せる必要はないんだけど、ペンネームだからいいや、ってなことだったのかな。サイトの資料によると「タイガーマスク」「ひみつのアッコちゃん」にもこの名前が載ってるらしい。こうして思い出が次々と手繰られていきます。これもネットのお蔭。